ザ・ドリフターズ
クリスマスのフジテレビと言えばドリフ「志村けんとドリフの大爆笑物語」
昭和45年10月第2週から7週間、ドリフの全員集合は視聴率40%を超えていた
昭和45年「さよなら万博」
ドリフ全盛期は、志村けんがボーヤ(付き人)だった時代である
やっぱり、この5人のスターを見ちゃうと、
志村が最初は「なんだよ、こいつよ」と言われてたのは分かる
ヴィジュアル的にも弱い
ドリフの付き人であった志村健、井山淳は一時独立し、
お笑いコンビ「マック・ボンボン」を組んだ
志村のテレビ初出演番組「ぎんぎら!ボンボン!」は、昭和47年の大みそか、
3ヶ月で打ち切りの最終回となる
同日、NHK紅白歌合戦には、
荒井・仲本・いかりや・加藤・高木のドリフ5人が出場を果たしている
視聴率は驚くなかれ80.6%を記録していた
民放版「ゆく年くる年」でもドリフが司会を担当していたようだ
居作昌果
ほんのひと握りしか持ちネタのないコンビが、テレビでもみくちゃにされたら、あっという間に潰されてしまう。テレビの魔力の中に、マック・ボンボンは沈んでいった。茶の間の観客は、経験の少ない志村たちの手におえる代物ではなかった。ドリフターズのメンバーになったからといって、観客は素直には受け入れてくれない。加藤や仲本、高木でさえも、軽く動き、ちょっとした仕種で、次から次へと笑いを巻き起こしていくのに、志村がどう動こうと、何をしようと、笑ってはくれない。必死になればなるほど、客の反応は冷たく、空振りに次ぐ空振りだった。
「♪私が~ささげた~」からの「どうもしんづれぇしました」
平成29年2月13日放送「歌のゴールデンヒット」で、加藤茶(29歳)の映像が紹介された
史上初の300万枚は、「8時だョ!」の影響力を見せつけた
オリコン歴代シングル売上ランキング
1 昭50 457万枚 およげ!たいやきくん(子門真人)
2 昭47 325万枚 女のみち(宮史郎とぴんからトリオ)
3 平15 313万枚 世界に一つだけの花(SMAP)
4 平12 293万枚 TSUNAMI(サザンオールスターズ)
5 平11 291万枚 だんご3兄弟
(速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ&だんご合唱団)
ザ・ドリフターズ出演の主な好視聴率番組
1 昭47.12.31 NHK 80.6% 第23回NHK紅白歌合戦
2 昭48.4.7 TBS 50.5% 8時だョ!全員集合
3 昭55.1.1 フジ 48.6% '80新春スターかくし芸大会
4 昭55.12.23 フジ 40.4% 火曜ワイドスペシャル「ドリフ大爆笑'80」
5 昭58.12.7 テレ朝 38.0% 水曜スペシャル「ドリフと女優の爆笑劇場!傑作集!!」
6 昭45.12.31 TBS 36.7% 1970年度輝く日本レコード大賞
7 昭62.11.21 TBS 36.0% 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ
8 昭48.5.15 フジ 35.4% 火曜ワイドスペシャル「ちょっとだけョ!全員集合」
9 昭53.1.17 フジ 35.4% 初笑い!ザ・ドリフターズ全員集合!
10 昭50.4.1 TBS 34.7% 20年だョ!全員集合
居作昌果
野球シーズンの土曜日は必ずジャイアンツ・ナイターがある。ジャイアンツ・ナイターと視聴率争いをするのは大変なことなのだが、〝野球は巨人、司会は巨泉〟の、大橋巨泉の「クイズダービー」(土曜日・夜七時半)と、巨人が負けると飯がまずくなる加藤茶の「全員集合」がジャイアンツ・ナイターを抑えていたのも、楽しかった。
ザ・ドリフターズはゴールデン・アワーの権化となった
「兄さん 姉さん パパにママ じいちゃん ばあちゃん お孫さん
揃ったところで始めよう」
民放のテレビ番組の頂点、フジテレビ吉例の新春スターかくし芸大会は、20年近く前、
第1回大会にドリフが出ていた映像を流していた
モノクロ映像ではあったが、海外ドラマの様なものにドリフの面々が挑戦しており、
服装はフォーマルなスーツ姿だったかと思うが、
見た限りでは加トちゃんのみ台詞を喋っていた
同番組は長らく、クレージー・キャッツ、ドリフターズがトップクレ争いを
繰り広げており、ずっと下の方に漸くタモリ、たけしといった名前が出る状況が続いていた
20年だョ!全員集合(昭50・TBS)
ありがとう▽水戸黄門▽寺内貫太郎一家▽バーディー大作戦▽おそば屋ケンちゃん
▽刑事くんの出演者たち ザ・ドリフターズ 堺正章 井上順 仁鶴 三枝 せんだみつお
森進一 五木ひろし 西城秀樹 山口百恵 天地真理
'80新春スターかくし芸大会(昭55・フジ)
クレージーキャッツ ドリフターズ 井上順 布施明 ジュディ・オング 研ナオコ
桜田淳子 岩崎宏美 小林幸子 金沢明子 野口五郎 沢田研二 五木ひろし 前川清
郷ひろみ 西城秀樹 タモリ 清水健太郎 狩人 小柳ルミ子 八代亜紀 ピンクレディー
アグネス・ラム 高田みづえ 石野真子 高橋圭三 芳村真理
『オレたちひょうきん族』が追求したドリフと真逆の笑い
1980年、『THE MANZAI』(フジテレビ系)にツービートや(島田)紳助・(松本)竜介、ザ・ぼんち、B&Bらが出演すると、空前の漫才ブームが起きた。翌年には日本中を笑いの渦に巻き込む『オレたちひょうきん族』(1981~1989年、フジテレビ系)がスタート。最高視聴率29.1%を記録した。当時チーフディレクターで、千代田企画社長の三宅恵介氏が言う。
「『THE MANZAI』で有名になったツービートや紳助・竜介さんたちを起用して、お昼の『笑ってる場合ですよ!』が始まりました。この番組が成功して、プロデューサーの横澤彪(たけし)さんを筆頭に、同じメンバーで『ひょうきん』を担当することになったんです」
当時の土曜8時といえば、最高視聴率50.5%を記録した『8時だョ!全員集合』(TBS系)が圧倒的人気を誇っていた。
「ドリフは“横綱”ですから、勝とうなんて思いませんよ。ただ、せっかくやるからには、存在価値だけは認めてもらいたいと考えていました」(三宅氏)
三宅氏と同じくディレクターだった荻野繁氏はこう振り返る。
「豪華なメンバーに見えますが、ビートたけしさんも明石家さんまさんも、今のようにビッグではありません。最初は上層部から『番組のメインになる顔が足りない』と忠告されました。でもメインを入れたら、その人の番組になってしまう。いずれ番組の顔になっていく才能ある演者とチャレンジしたかった。視聴率が悪ければやめればいい、くらいの勢いで始まりました」
1981年5月16日、初回は視聴率9.5%と10%に満たなかったが、第4回目には10%台に。その後も少しずつ上昇を続けていった。『ひょうきん』が追求したのは、ドリフと真逆の笑いだ。三宅氏が言う。
「『全員集合』は、最後のオチまでシナリオがあり、リハーサルを重ねて、失敗できない生放送の本番がある。作り上げていく、王道の笑いです。『ひょうきん』はVTR収録で、アドリブやハプニングを重視した笑いにこだわりました。またドリフは、いかりや長介さん率いるチームですが、『ひょうきん』では、ツービートや紳助・竜介コンビもバラして、それぞれのキャラクターや個性を重視しました」
その結果、ビートたけし扮する「タケちゃんマン」、明石家さんまの「ブラックデビル」「アミダばばあ」や島崎俊郎の「アダモステ」など、個性豊かなキャラクターが誕生。「ひょうきん懺悔室」や「ひょうきんベストテン」などの名物コーナーが人気を博した。
伊武雅刀
竹の子族よりも派手に、ロックン・ロール族よりも突っ張り、クリスタル族なんか、
まるで無視して地球にやって来た「オレたちひょうきん族」!
彼らは、ひょうきん族と名を名乗り、ある時は俳優として、お茶の間の皆様に涙を誘い、
又ある時はシンガーとして、さだまさし、ジュリー、YMOの存在を脅かし、
ついでにドリフターズも脅かし、お子様からお年寄りまで、
御覧になっていらっしゃるテレビ界に、新しい波風を巻き起こすべく、日夜、
正義と真実と、明るい社会を守るために、戦い続ける者たち、その名は、
「オレたちひょうきん族」!
全国フジテレビ系にて、絶賛上映中
ひょうきん族のオープニングは、テレビ史上最高じゃないか
あとは、ザ・ガードマンなんかも格好いい
無論、おかえりモネも秀逸なオープニングだ
NHK×清原、ここにありだったからね
ひょうきん族がドリフを超えたと言っても、巨人戦ナイターには子ども扱いされていたし、
CXの金看板は何と言っても「ドリフ大爆笑」であった
ひょうきん族は、そこまでの国民的番組扱いではない、
局地的支持を狙った番組であった様に思う
その、ひょうきん族の原点となった漫才ブームであるが、
最盛期である昭和55年のバラエティ番組視聴率ベスト3を見ると、
①'80新春スターかくし芸大会(48.6%)
②8時だョ!全員集合(41.0%)
③ドリフ大爆笑'80総集編(40.4%)
となっており、関東地区ではドリフ主演番組が独占していたのであって、
少なくとも視聴率上では漫才ブームの「マ」の字も散見出来ない
加トちゃんのエース時代を懐かしんだ視聴者が如何に多かった事か、
志村抜きの「3人ドリフ」の視聴率は47.6%を記録し、
昭和52年のオンライン調査開始以降のバラエティ(レギュラー)番組史上最高視聴率
となっている
それから、加トケンやドリフ大爆笑に代わって覇権をとったのは、スマップだったと思う
その当時、お笑いで象徴的な活躍をした者がいなかった事も大きい
スマップの後は紳助と、本職のお笑いタレントがバラエティの帝王と呼ばれたが、
彼の引退後の現在は空位だろう
突出した人物がいない
紳助ファミリー
越前屋俵太 チュートリアル 土建屋よしゆき
パンチみつお師匠(失笑やおまへんで)
「ドリフ大爆笑'91」 色あせません!雷様
(長介)おいおいおい、何やんだ今日は
(ブー)歌うんだよ
(長介)また歌かよ、お前もしかし能が無いね、ほんとにね、
見てる方の苦労も考えてご覧、少しは、え?
はっきり言わして貰うけどね、ね、誰も、私らも含めて、
あんたの歌は聞きたかないの、ね、で、今日、じゃあ、やりたきゃやったら、
やってもいい、ね、お一人でおやりなよ、お一人で、ね、じゃね、はい
(ブー)おい、いかりや、ちょっと待てよ
(長介)待ってるよ、なんだ、いかりやっての
(ブー)お前な、人を舐めるのもいい加減にしろよ!30年間、人を馬鹿にしてきやがって、
今日は言わして貰うからな、いいな!
(長介)いや、馬鹿にしたんじゃなくてね
(ブー)うるせえ!そりゃあな、確かに俺はな、何をやっても面白くないよ
(長介)そうなんだよ
(ブー)ドジだよ間抜けだよ、本番中に寝ちゃった事もあるよ、そのたんびに俺は、
馬鹿だと言われてきた。
しかしそれは、多くの芸能人を救うための、ボランティアなんだよ
(長介)ボランティア?
(ブー)黙って聞け!
(長介)いや、分かんないから
(ブー)黙って聞けよ!
(長介)ボラン・・・
(ブー)黙って聞けっつんだよ!
(長介)だから・・・
(ブー)黙って聞けよ!
(長介)・・・
(ブー)黙って聞け!
(長介)喜代子・・・
(ブー)黙って聞いてろよ!いいか?
芸能界というのは、多くの若者達の憧れの世界なんだよ
(長介)そりゃそうだ
(ブー)しかし、しかし、芸能界っつうのは厳しいんだよ
(長介)そりゃそうですよ
(ブー)ほとんどの連中が、みんな途中で駄目になっていくんだよ
(長介)うん
(ブー)そして若者達は、自信喪失になるんだよ
(長介)そうなんだよ
(ブー)ところが、ある日そんな連中が、ふとテレビをつけた
(長介)おっ
(ブー)そこに俺が映っていた、あ、高木ブーだ、今日は何やるのかなあ?
でも不思議なんだよ、この人は、大スターなのに、何をやっても面白くないんだよなあ
(長介)大スター・・・
(ブー)不思議なんだよ、それでいて、スターなんだから、ん?あ、そうか~、
ひょっとしたら、勝てるかもしれないなあ
よおし、そんならもう一度頑張って、高木ブーを抜いてスターになろう!
・・・って気になるだろ?
(長介)あ~
(ブー)言わば俺は、自信を無くした若者達に、勇気と希望の光を与える、灯台なんだよ
それだけじゃないんだよ?
今の芸能界だってそうだよ、芸能人だって、まあ、色々、色々いる、いるわな
(長介)そりゃ大勢、今、いや大勢いるから芸能界なんだ
(ブー)だからね、色々、ま、ま、タモリとか、たけしとか、
とんねるずやウッチャンナンチャン?いるよな?
ま、芸能人である以上は、ギャグに行き詰まったり、芸に悩んだり、
落ち込む事もあるよ
(長介)うん
(ブー)数段違う俺を見て、また新しい勇気、勇気と希望を持って、頑張ったから、
今の人気があるんだよ
(長介)あ~、なるほどね
(ブー)あれだよ、加藤や志村だってったって、おんなじだよ
(長介)あ~、なるほどな、あんたを見て自信つけるわけだ
(ブー)ま、とにかく俺が、その気になって実力を出したら、
みんな自信を無くしちゃって、この芸能界に、スターなんか誰もいなくなっちゃうよ
(長介)おう
(ブー)寂しいもんだよ
(長介)あ~、なるほどね
(ブー)ま・・・最初はみんな・・・俺の背中を見て・・・俺を目標にし・・・
(長介)今日随分長いね
(ブー)やがて俺を踏み越えていった、若い後輩達がスターとなって、
この芸能界を支えているんだよ
(長介)そうそうそうそう
(ブー)それを見る度に、俺は思うんだ!
馬鹿を装い、世間を欺いてきたこの俺の30年というのは、
決して間違いではなかったんだよ!
それを何だお前ら、誰も何も分かってないじゃないか!
(長介)分かってます、すいません
(ブー)俺が歌が下手なんじゃないんだよ、俺が歌を上手に歌ってみろ?
多くの歌手達はみんな自信喪失になって、国に帰っちゃうよ!
それを俺の歌が下手だとか、聴きたくないとかって、よくそういう事が言えるよ!
ほんとに!
(長介)どうぞ、歌って下さい
(ブー)歌わねえよ!
(長介)どうして、歌って下さいよ
(ブー)一人でこんなに長く喋ったの、生まれて初めてだ、はあ、仲本、お前歌えよほら
(長介)お前歌え
(ブー)お前歌えよ!・・・いかりや!ちょっと肩揉め!俺疲れちゃった
(長介)いい加減にしろバカヤロー
「志村けんのだいじょうぶだぁ」はフジテレビ黄金時代の象徴的番組だった
「大爆笑」はフジにとって別格の番組だったと思うが、
「ひょうきん」全盛期である80年代中盤は、まだフジテレビは絶対王者ではない
全日視聴率でもNHKを超えた完全三冠王の第1号は1987年のフジテレビだが、
フジテレビの全盛の年は、1992年だった
この頃のドリフ大爆笑を除いた看板番組は、
「笑っていいとも!」「なるほど!ザ・ワールド」「とんねるずのみなさんのおかげです」
があげられる事もあるだろうが、しょせん昼の番組だったり、ただのクイズ番組だったり、
視聴者の年齢層が若向けに偏った番組で、国民的番組とまでは言えない
この頃、月9という看板枠が生成されるが、
月9の視聴率30%超え第1号「教師びんびん物語Ⅱ」の田原俊彦が、
「志村さんの番組から視聴者が続けて見てくれるから、視聴率が非常に良い」と、
志村の楽屋に御礼に行っている
それ以来、田原は志村の番組に度々お声がかかった
松本典子、昭和最高の美人だったかもしれない
「教師びんびん」ヒロイン・麻生祐未も相当美人だったから、甲乙つけ難い
石野陽子は清原伽耶に似ている事で有名だが・・・
まず、一つだけ言える事は、
ドリフは間違いなく流行語を最も多く生み出したグループという事
いかりや長介「オィッスー」「だめだこりゃ」「次いってみよー」
荒井注「ゼス・イズ・ア・ペン」「なんだ馬鹿野郎」
仲本工事「ハイ・ポーズ」
加藤茶「イタイのイタイのとんでけー」「ウンコ・チンチン」「加トちゃんペ」
「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ」「どうもスンずれいしますた」
「ヘックション!」
志村けん「アーミーマー、ユーヤーユー」「あいーん」「怒っちゃヤーよ」
「お前、それは無いだろ」「カラスの勝手でしょ」「最初はグー」「だっふんだ」
四大民放でもドリフとつながりの薄かった日テレは、20世紀を振り返る番組で、
「戦後最大の流行語!」として、「アッと驚く、タメゴロー」と紹介していたが・・・
他にも、「お呼びでない」「こりゃまた失礼いたしました」「ガチョーン」など、
ナベプロの先輩クレージーも凄かった
大阪方面では、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」か
こう見ると、お笑いの流行語は、昭和でほぼ完結している
今年は、五輪からも真の流行語は生まれなかったし、
年末の新庄BIGBOSSが思わぬ流行語となったが、
ユーキャン新語・流行語大賞は何故1~12月を対象とせずに、
年末に発表する事にこだわるのだろうか?
「ファイターズからのファイトソング」という事で、清原伽耶も時勢に合わせている
朝ドラ40周年 AK第40作「ちゅらさん」脚本:岡田恵和
朝ドラ50周年 AK第50作「おひさま」脚本:岡田恵和
朝ドラ60周年 AK第60作「おかえりモネ」主演:清原伽耶
脚本:岡田恵和、主演:清原伽耶の「ファイトソング」11/18に発表されたが、同日の夕刻、
清原和博氏の以下のコメントが報道された
「おまいう」状態の清原氏、さすが、ギャグ漫画の主人公になっただけの事はある
僕ね、この間(新庄監督に対して)優しいコメントだしたじゃないですか。会見を見る前だったんですよ。(会見を)見た瞬間にちょっとイラっとしました。プロ野球100年の歴史があるわけですよ。(元巨人の)川上(哲治)監督から始まってね。絶対プロ野球のOBたちは口に出さないと思いますけど、みんな嫌な気分になっているのは間違いないと思います。僕らの年代までの選手までは。若い世代は分からないですよ。本当に何をしでかすか分からない男なんでね。パ・リーグを盛り上げるために新庄監督もお客さんを楽しませるエンターテイメントという部分で本当のプロ魂を期待しています。選手のみなさん、このプロ野球界を盛り上げてください。ジャージを着ている男(新庄監督)なんかに負けないでください。
桑田佳祐
コロナウイルスの影響も日に日に拡大しておりまして、今週は志村けんさんのご訃報もございました。サザンのデビュー曲は『勝手にシンドバッド』って言うんですけど、デビューしてしばらくだまってたんですけど。沢田研二さんの『勝手にしやがれ』とピンクレディーさんの『渚のシンドバッド』をくっつけた。いかにも僕のオリジナルみたいなんですけど、このフレーズ違うんですよ。2、3年、だまってたんですけど、しらばっくれてたんですけど、志村けんさん(のネタ)なんですよ。『8時だョ!全員集合』の中で『勝手にシンドバッド!』って言っていたのを、たまたまなにげなく見てまして。面白いなと思って。(曲が)できたときに志村けんさんが言っていたあれにしちゃおうと。しらばっくれてデビューしちゃったんですよ。
サザンがデビューして『8時だョ!全員集合』に出させてもらうことになってごあいさつに行ったら、いかりや長介さんに快く迎え入れていただいて。あの方、一流のベーシストであり、ドリフというのは素晴らしいバンドですから、音楽的なこともすごく理解してくれたんじゃないかと思うんですよね。『頑張れよ』という意味で、いかりや長介さんがサザンオールスターズのことを気に入ってくれていた。それが転じて、うちの大里(現アミューズ代表取締役会長・大里洋吉氏)が、『いかりやさんが気に入ってるらしいじゃん。サザン辞めてドリフ入っちゃえばいいじゃない』って言うもんだから。ついつい(俺も)調子に乗って、『俺、ドリフに誘われちゃった』って。話を盛るやつが2人、3人と出てきちゃった。俺と大里さんとかね(笑)
平29.11「水ダウ」知名度(天皇・皇族を除く)
1位 タモリ 97.8%
2位 和田アキ子 96.3%
3位 安倍晋三 95.8%
13位 イチロー 90.4%
15位 志村けん 89.4%
16位 加藤茶 89.3%
37位 清原和博 84.3%
令2.7「水ダウ」知名度(天皇・皇族を除く)
1位 タモリ 97.4%
2位 黒柳徹子 96.8%
3位 安倍晋三 95.5%
8位 志村けん 92.8%
12位 加藤茶 91.2%
13位 イチロー 91.1%
14位 聖徳太子 90.5% ←皇族ではないのか?
47位 清原和博 79.5%
63位 徳川家康 75.7%
67位 豊臣秀吉 74.9%
97位 大谷翔平 66.2%
令5.4「水ダウ」知名度(天皇・皇族を除く)
1位 タモリ 97.1%
2位 明石家さんま 96.6%
3位 和田アキ子 96.0%
6位 イチロー 93.3%
18位 加藤茶 88.9%
32位 大谷翔平 84.8%
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