2020.10~12
「望み」
最後のシーン、西武・清原を意識したかの様な戸沢市
(ライオンズ球場のある所沢市がモデル)の上空からの映像
「宇宙でいちばんあかるい屋根」のそれと偶然にも同じ
ちなみに、「宇宙―」は、役名「つばめ」だったから、東京ヤクルトなんだが
その空撮映像でイオンの看板が見えるのは、やはり清原伽耶への忖度か
最後の台詞は、清原伽耶の「おかえり」、堤の「ただいま」で締め括られたのも、
来春主演朝ドラの題名を意識しているではないか
堤幸彦
雅を演じた清原果耶さんは噂には聞いていましたが、こわいくらい巧い。
一登が口に出さない思いを雅が代弁する役割も担っているのですが、
完璧以外の何者でもない演技でした。
今後の日本の映画やドラマを引っ張っていくことは間違いないでしょう。
すでに多くの作品で評価されている方ですが、
『望み』もその中のひとつであってほしいです。
菊間千乃 弁護士
どちらの望みが叶っても、事件前の平穏な日々には戻れない。
誰も間違っていないのに、少しずつ生じていく歪み。
登場人物全員に共感できるからこそ、胸が詰まる。
窪塚洋介 俳優、アーティスト
観終わった時にタイトルの意味が自分の中で変わっていることに気がついた。
そうか、その意味は変わり続けていたのか。
坂下千里子 タレント
思春期の子どもの事は、親は知っているようで知らない。
子どもを信じてる、でもぬぐいきれない疑いの心。親として息が出来なくなった。
子供を信じ切れないのは、親失格なのか?
Sano ibuki シンガーソングライター
大どんでん返しや予想外の結末を望んでしまうほど絶望的な二択の問いかけに
心を揺さぶられ、当たり前でありふれた日常の幸福さを、
儚さを再認識させられる作品でした。
サヘル・ローズ 女優
生きてて欲しいと望むべきか。被害者であって欲しいと望むのか。
『加害者』という言葉の重みと深さを痛感した。
最後までなにが正しい望みだったのか。息を呑んで祈った。
志茂田景樹 作家、よい子に読み聞かせ隊 隊長
僕の心に眠る原罪がむくりと動き、ドカッと共感させられた。
他人事ではなく我が家のことだ、というモードに知らず取り込まれたせいだ。
この映画は黙って頂きだ!
鈴木おさむ 放送作家
この映画は観ながら選択を迫られる。自分の息子が・・・友達を殺した犯人か?
友達に殺された被害者か?どちらかを選べと言われたら、どちらを選ぶのか?
辛い、クルシイ、痛い・・・これを感じることに大きな意味があるのだろう。
のぶみ 絵本作家
親が子どもを信じ抜く映画です 全ての子どもを持つ親に観てほしい
普段から一言でも多く自分の子どもと話したいと思いました。
橋本じゅん 俳優
観劇後、強烈に胸に迫ったのは、
生身の役者の力でタイトルを表現し切ったという驚きでした。
それは舞台を見終わったようにも思えました。
真の意味で演者が物語を『生きた』からでしょう。
春名風花 女優
家族にとって彼は『加害者・被害者』というアイコンではない。
たった一人の家族で、愛していて、信じていて。重なる想いに胸が熱くなる。
わたしはなにを望むだろう。
ヒルクライム TOC アーティスト
集団心理、大衆心理が引き起こす恐怖、
それに惑わされながらも抗おうとする家族の絆。
同じことが起きた時に自分はどう在るべきか?
そう問いかけられてるかのような映画でした。
古舘伊知郎 フリーアナウンサー
家族とは演技しあう集団だ。この家の食堂の椅子には背もたれがない。
それぞれの役柄に寄りかかれなくなった時の本音の嵐。
ホームドラマの“甘栗むいちゃいました”。
前田敦子 女優
世の中にある色々なまやかしに混乱する世界、なかなか見つからない真実。
家族だからこその苦しみや望みに胸が締め付けられました。
私も唯一の光を探し、一緒に追い求めていました。
三浦瑠麗 国際政治学者
これは人間であることをめぐる選択のドラマだ。
息子のほんとうの声が聞こえるまで、親たちは苦しみぬく。
その声が聞こえた時、わたしも涙が止まらなかった。
YOU タレント
その望みは あまりにも危うく とてつもなく しんどい。
母の最後の言葉は ただただ生きる為の しかたがないような 望み
そのものだろう。
「ジョゼと虎と魚たち」
赤星憲広 野球解説者
『夢を描く、夢を語る』その美しさと儚さを思い知る。
普段目にしている光景や、そこから生まれる感情を当たり前だと思ってはならない。
鑑賞後その奥深さと温かさに心を動かされました。
朝霧カフカ 漫画原作者/小説家
目に見える何もかもが素晴らしい。
風景、光のゆらぎ、キャラクターの横顔、表情、美しい主線がつくりだす繊細な
身体性、その身体と車椅子が組み合わさって生まれる、痛々しいまでの生の実感。
大傑作。
猪狩ともか アイドル・仮面女子
恒夫と出会ったことで、
どんどん外の世界をしっていくジョゼはとてもキラキラしていました。
心温まるだけでなく、とてもキュンキュンする映画でした。
私も車いすで坂道を転げ落ちて出逢いを見つけたいです!(笑)
イシグロキョウヘイ アニメーション監督
浮力は絵に宿る。そこが地上か水中かは関係なく。
身体的にも心理的にも枷が外れて恒夫とジョゼが本当の意味で自由に
ソラを飛べたのは、タムラさんや飯塚さんはじめ、
スタッフ全員が作品に誠実であったからこそ。染み入りますね、うん。
伊東歌詞太郎 シンガーソングライター/小説家
映画の中で一番好きな『ジョゼ』。いてもたってもいられずに見せていただきました。
制作陣の新しいジョゼを作るにあたってのとてつもない苦労と愛が実を結んだという
印象です。とても嬉しいアニメ化でした!
伊藤智彦 アニメーション監督
美しい画面、真摯な登場人物たち、それに寄りそう音楽。
人と人が孤立し引き裂かれる時勢のなかで、ほんの少し優しくなれる気がする。
この作品が放つピュアネスこそ、いま求められているものだと思う。
ぜひ大切な誰かと一緒に感じてほしいです。
大河内一楼 脚本家
美しい映画でした。
映像はもちろん、登場人物の心が。困難とそれに立ち向かうありよう、そして選択。
見ている自分の心すら少しきれいになったような、
とても美しくて心地よい映画でした。
くいだおれ太郎
見慣れた大阪の街が、こないに美しくみえるのでおますなあ。
お話も、色も、風景も、きれいな、きれいな映画でおます。
砂糖イルノ イラストレーター
主人公たちが見ている世界の描写が丁寧で、すぐ物語に引き込まれました。
服装がオシャレなだけでなく、季節や心情の変化も感じとれました。
そのあたりにもぜひ注目してほしいです!
村主章枝 フィギュアスケート振付師
家に籠っていたジョセが、外の世界に出て、喜ぶ心の内面の様子が、
アニメーションにて美しく描写されており、私の心も思わず、躍ってしまいました。
千早茜 作家
ずっとジョゼと恒夫の目線は違うのだと思っていた。
でも、海に潜れても、車椅子でも、欲しいものに手を伸ばす怖さは変わらない。
諦めずに進んだ先の景色が鮮やかで美しかった。
小説とも実写映画とも違う、新しい二人に会えました。
寺地はるな 作家
届かないものに手を伸ばすのは、誰だってこわい。
でも手を伸ばさなければ、求めていることすら伝わらない。
私たちはもっと求めていいし、そのために別のなにかをあきらめる必要もない。
広瀬けいすけ 寝屋川市長
大阪や神戸の“日常の景色”の描写が鮮やかで美しい。
こんな素敵な映画の世界にわが街も描かれるなんて光栄です。
若い彼らが暮らす何気ない街のたたずまいにもご注目を!
寝屋川市民はもちろん必見ですね。
水島努 アニメーション監督
いろいろなことを諦めてしまうのは簡単です。
諦めずに何かにチャレンジすると、けっこう傷つくので。
それでも傷つきながら進んでいく、そんな人たちに寄り添う、映画です。
三戸なつめ 女優・タレント・モデル
美しい映像と音楽の中からヒリヒリとする感情が伝わってきました。
2人の事を応援しながら観ていましたが、
気が付けば私自身がとても勇気をもらえた映画でした。
観終わった今でも2人の事が気になっています(笑)
山本浩之 フリーアナウンサー
キラキラした映像に洗練されたEveの音楽。原作や実写版にもう一つ新たな魅力が!
形は変われど田辺文学の代表作がもたらす、
見終わった後の素晴らしい余韻に包まれます。
平手友梨奈 森山直太朗とのコラボで「朝ドラヒロイン」も!
「2020FNS歌謡祭夏」(フジテレビ系)にて、元欅坂46の平手友梨奈(19)が森山直太朗(44)の「生きてることが辛いなら」に合わせ、ダンスでコラボレーションした。同曲は<生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい>という歌詞から始まり、2008年発表当初、自殺を助長するなどとして批判もあった楽曲だ。しかし、歌詞を通して見れば<嫌になるまで生きるがいい>、<くたばる喜びとっておけ>と、むしろ「生き抜いて欲しい」というメッセージソングになっていることが分かる。今回のコラボレーションでは歌い出しで平手のアップからはじまり、同じシルクで無地のワンピースの衣装をまとった少女と2人のダンスでその楽曲の世界観を劇風に描いたものになっていた。今回のダンスの技術面については、以前の記事(平手友梨奈のダンスは何が凄い?トップダンサーに聞いてみた)でも平手を分析、評価してくれたトップダンサー兼振付師(ブリトニー・スピアーズのワールドツアーバックダンサーや嵐などの振り付けを歴任)に感想を尋ねたところ、「普通にプロダンサーかと思うレベル。メリハリのある振りなので躍りやすいとは思うがそれでも凄い。表現力ももちろんだが、技術がある。上手い!!」と太鼓判を押していた。表現という意味では、平手はいままでに無かった様々な一面を見せた。生きることに絶望した表情で、自身の娘のような、あるいは自身の幼少期のような少女をおんぶする姿。その疲れ切った表情は戦時中の食糧難に苦しみながら我が子をおんぶしている母親かのようだった。物が溢れた現代においても精神的に生か死かをさまよっている象徴にも見えた。さらには少女を抱きしめようと笑顔で駆け寄るも、すんでのところでその少女の影が無くなり悲嘆する表情。少女と強く抱きしめ合い背中に手を添え、命がそこにあることを痛切に安堵したり願うような姿。クライマックスでは<くたばる喜びとっておけ>という歌詞を目をつむって力の限り口ずさんで生きることにしがみつく様を体現。アウトロ(終奏)に向けては少女と穏やかに微笑み合い、明日を見つめるような視線で楽曲が提示する「生きることへの希望」を表現していた。19歳の平手が少女に対して見せた母親のような表情。今回のパフォーマンスにおいては、欅坂46時代に彼女が囚われ続けた楽曲の主人公“僕”がいい意味で姿を消したことが確信できた。欅坂46時代に「2017FNS歌謡祭」で平井堅とコラボレーションした「ノンフィクション」のパフォーマンスでは、親友の自死を嘆き「あなたに会いたい」と悲痛な想いを絶叫する女子高生役を演じていた。当時弱冠16歳だった平手。制服を着て紙切れを頭上にまき散らし、からっぽになった学生カバンを頭に突っ込む。設定は“女子高生”なのだが、激しい衝動や叫びからは欅坂46の楽曲の主人公“僕”と同じ類いのエネルギーの放出を感じさせた。今回の平手は同じく生きることへの絶望を表現しながらも、どこまでも女性的だった。予想外に登場した少女の存在で、母親のような母性を醸し出し、まだ幼い命を力強く抱きしめた。そこに欅坂46の“僕”のような男性性は見られなかった。今年1月に欅坂46を脱退して以降、ソロになって2本の映画の撮影を経験した。平手友梨奈として楽曲の“僕”になるのではなく、物語の“ヒロイン”、“少女”という役に入り込んでその人物の喜怒哀楽を表現する時間が多く持たれたことだろう。異なる現場で異なる共演者、監督から演じることを学んだ平手が、森山の歌に合わせ少女と紡いだ物語では、平手友梨奈が平手友梨奈であることを忘れさせ一人の大人の女性として力強く生きること、その希望を説得力ある表情で表していた。女性アイドル界の異端児としてギラギラと焼け付くような、見る者の心を焦がすいまにも消えてしまいそうな儚さや脆さ、不安定さを帯びた少女から、大人の女性へと昇華した彼女は、絶望の中にも光を探し求め、それをきちんと手にする芯の強さを感じさせた。今年7月に公開されたMrs. GREEN APPLEの「WanteD! WanteD!」(Side Story ver.)MVに出演した際、平手はインタビューで「今は世界中が大変な状況になっていて。~中略~今しかない大切な時間を奪われてしまった人が沢山いると思うんです。そんな人達が少しでも上を向けるような、背中を押せるような、これからの生活を楽しむ気持ちになれるような作品になったらいいなって」と話していた(「ViVi」2020年9月号)。「ROCKIN'ON JAPAN」(2020年10月号)での最新のインタビューでも同様の主旨のことを語っている。森山はこの楽曲のコラボレーションについて、平手が「やりたいというふうに強く言っていただいた」と「ノンストップ」(フジテレビ系)で明かした。今回も平手はまさしく、コロナ禍や言葉の暴力で人生を憂い悲観する人々に向け、勇気づける“作品”を提示した。また、幼い少女相手に平手が見せた母親のような表情を見て、彼女と同じ高校卒業組の女優陣の中で一歩抜けた存在としてあげられる清原果耶(18)が思い出された。清原は19年NHK朝の連続テレビ小説(以下、朝ドラ)「なつぞら」で実年齢17歳にして、30代で幼児を連れる母親役を見事に演じていたことが大きく評価されていた。だが、平手にもそれが可能だと強く確信させられた。若手女優にとって国民的女優への登竜門となっている朝ドラは、主人公の人生を幼少期から老年期まで描くものが多い。ヒロイン役の女優が中学生から老婆になるまで1人で演じることもある。下手な女優だと30代の母親という設定でも、大学生みたいな子にずいぶんデカい子供がいるなぁ、と思ってしまうが、平手ならそう感じさせないだろう(平手が長期の拘束を伴う朝ドラ出演を望むかは別として)。真逆を行くようだが、欅坂46時代からのファンやメンバー、スタッフからは素顔の彼女への愛称として「赤ちゃん」「ばぶ」といったものがあり、彼女のファンは「保護者」とも呼ばれている。あるいは「ROCKIN'ON JAPAN」(同)でのビジュアルショットは、その力強い眼差しで多くの女性ファンを虜にするイケメンぶりもまだまだ健在だ。そこに母性を伴う母親のような女性役にすら憑依できるのだとしたら……。女優として、表現者として、平手友梨奈にはまだまだ限界が見えない。
大阪都構想住民投票で清原・淀川区が賛成率2位
平27賛成率 → 令2賛成率
59.0 → 56.3 北
55.5 → 55.1 淀川
57.7 → 53.8 西
55.6 → 53.7 福島
53.0 → 52.6 都島
52.7 → 51.7 浪速
50.1 → 51.1 鶴見
54.1 → 51.0 中央
50.5 → 50.5 城東
51.2 → 50.3 東淀川
50.0 → 49.6 東成
基本、前回から都構想賛成率が高いのは、都会の人である
都会の人とは基本、地方出身者率が高い
新大阪駅の近くの淀川区なら猶更である
つまり、前回から50%前後で推移している東成区あたりが、
大阪市の中で平均的な都会度の地域
地方出身者は大阪を都会だと思って来ている
逆に大阪市出身者は、都会という認識よりかは「地元」という認識である
その大阪市出身者が多い地域ほど大阪市の中では田舎部なのだ
この認識の違いの一点に尽きるだろう
中条あやみの阿倍野区は反対率3位、西野七瀬の平野区は同4位と田舎なのだ
田舎から出てくる人がわざわざ平野区などに住もうという人は比較的少ない
橋下徹氏
住民投票はね、勝つまでやっていいんですよ
何故かと言えば、政治っていうものは、過去のその政治を否定しながら将来にね、
向かっていくものですから
裁判っていうものは一回やった事を蒸し返しちゃいけませんが、政治っていうものは、
過去駄目だったら、もう一回挑戦して修正していこう
それがもし誤っていたら、もう一回修正していこうっていうのが政治ですから
何度でもやったらいいんですよ、これは
小倉百人一首 二十番 元良親王
「侘びぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」
密通が露見して逢う事が出来ず、とても寂しくなってしまった今は、
逢っても逢わなくても噂になった以上は同じ事だから、
あの難波にある「みおつくし」のように、命が尽きようとも逢おうと思います
難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識を「澪標」と言い、大阪市章にもなっている
奇しくも、現在NHKで「澪つくし」(千葉県銚子市)が再放送されているが、
主演の沢口靖子は大阪府堺市出身である
都構想の発端は当時の橋下知事・市長による、政令指定都市である大阪市と堺市、
それから、この両市と大阪府との合併構想であった
反対派にとっては、何より強力な錦の御旗となったのが大阪市章であり、
これを政治利用したポスターが反対派の票を上積みさせた
平27.5.17 → 令2.11.1
賛成 694,844(49.6%) → 675,829(49.4%)
反対 705,585(50.4%) → 692,996(50.6%)
明治4年、3府302県から近代日本は始まっている
明治22年、「市制中 東京市 京都市 大阪市 ニ特例ヲ設クルノ件」により、
東京、京都、大阪の3市には市長と助役を置かず、市長の職務は府知事が、
助役の職務は書記官が行うなどの市制特例が定められた
つまり、都構想とは現世にも必要とされた市制特例なのである
都構想は議員を増やさないが、現行の都区制度には議員数という点で重大な欠点がある
都議会、府議会の員数は標準だろうが、
区部の議員数は、人口あたりで大阪市の3倍の議員を抱えており、明らかに失敗である
東京都 昭18.7.1~ 1397万人 議員127人
23区部 昭22.8.1~ 968万人 議員902人
大阪府 慶4.5.2~ 881万人 議員88人
大阪市 明22.4.1~ 275万人 議員83人
チーム名、球場が創立以来変わっていないのは、12球団でタイガース、阪神甲子園球場のみ
公式の寺院としては、四天王寺が国内で最も古いし、世界最古の企業の金剛組もある
大阪という地域は、中途半端に古いものは、そうでもないが、
古過ぎるものについては、「変わらない事」を美徳としている地域なのかもしれない
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