2015~2016

役者初仕事・・・白井からちょうど60年後の上白石

沈黙とオルゴール

人生の可能性って? 音を失っていく12歳の少女と聴導犬の物語

【NHK FM】

2015年5月30日(土)午後9時~午後9時50分(全1回)

【出演者】

上白石萌歌 佐久間レイ 池内万作 金沢碧 戸井勝海 小林トシ江 清原果耶 原扶貴子

富岡英里子 渡辺樹里 チョウヨンホ 百瀬朔 神尾晋一郎 押田栞

全局を通じて、ドラマ初出演はNHKラジオドラマであり、上白石萌歌とは、

大手事務所主催のコンテストでグランプリという共通点がある


昭和30(1955)年5月30日(月)讀賣新聞

①NHKテレビ

  6.00 スポーツとともに

  6.30 芸にいきる人 高村豊周 榊原アナ

  7.30 ゼスチユア梅幸外

  8.00 「渡り鳥いつ帰る」

  8.30 やがて青空⑤

④日本テレビ

  6.25 独唱 古沢淑子

  6.45 手品教室安部元章

  7.00 朝日ニユース

  7.30 浪曲 相模太郎

  8.00 ボクシング世界フライ級選手権(江本)後楽園(なき場合は映画)

  9.40 おさらい会(小唄)

⑥KRテレビ

  6.00 人形と影絵「青銅のイノシシ」

  7.00 タレントスカウト

  7.40 寄席中継 円遊 猫八 柳好外

  9.00 毎日ニユース


昭和30年の世帯普及率、白黒テレビ3%、洗濯機10%、冷蔵庫1%となっており、

「白井義男×パスカル・ペレス」戦もラジオで聴いていた人が大半だろう

川口、貼るな

電通調査(1955-1959)

■NHK

72.8 大相撲

70.7 日米水上

64.9 私の秘密

61.9 お笑い三人組

61.4 映画サロン


■日本テレビ放送網

96.1 フライ級 パスカル・ペレス×白井義男

87.0 プロレス ルー・テーズ×力道山

72.3 映画 坊ちゃん記者

70.9 ジャングル・ジム

66.4 プロ野球日本シリーズ 巨人×西鉄

65.9 ロビンフッドの冒険

65.9 名犬リンチンチン

64.9 轟先生

63.3 サーカスボーイ

61.7 ダイヤル110番


■ラジオ東京

74.2 スーパーマン

68.7 金語楼劇場 おトラさん

64.4 日真名氏飛び出す

63.7 てんてん娘

60.9 フライ級 ダニー・キッド×三迫仁志


電通調査(1960-1963)

■NHK

48.1 事件記者

46.3 私の秘密

46.2 ジェスチャー

43.0 お笑い三人組

42.5 大相撲


■日本テレビ放送網

78.7 バンタム級 ホセ・ベセラ×米倉健志

63.9 プロレス

49.2 プロ野球 巨人×大洋

43.9 モーガン警部

42.8 ダイヤル110番


■東京放送

50.0 ベン・ケーシー

49.3 ダイハツコメディ やりくりアパート

44.6 名犬ラッシー


■日本教育テレビ

44.3 ララミー牧場

43.5 ローハイド


豪州から豪商へ

カミモネ(上白石萌音)の女優デビューは13歳、NHK「江~姫たちの戦国~」

「父上様とお家の役に立てるのでしたら」という、京へ参る口上だった


清原伽耶の女優デビューも13歳、NHK「あさが来た」第6話

慶応元年になったばかりの春、ヒロインと同じ15歳の役だった

ちなみに、慶応改元(グレゴリオ暦1865年)は、令和改元と同じ「5月1日」だった

ヒロインや宮崎あおいが本編初登場した瞬間で、

朝ドラ定番の「木に登るヒロイン」を心配そうに見上げる場面

友近の呼び掛けに「へえ」と答えたのが、清原ふゆ初登場だった

視聴率18.4%

第8話、「ええなあ、恋文」という初台詞

宮崎あおいの女中として、大坂へ嫁ぐ宮崎と共に京を出る直前だった

当初の「あさが来た」の女中連中の一場面は、

カヤの名前の由来となった「もののけ姫」のそれを彷彿とさせる


NHK朝ドラ「あさが来た」平場で27%超の凄さ まだ前半 30%超えなるか?

女優の波瑠(24)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜前8・00)が今月4日放送の第59話で平均視聴率27・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。2014年度前期「花子とアン」の最高25・9%、13年度前期「あまちゃん」の最高27・0%を抜き去り、13年度後期「ごちそうさん」の最高27・3%に肉薄した。「あまちゃん」「ごちそうさん」の最高は、実は台風のニュースが影響したとみられている。“平場”で27%超えをマークした「あさが来た」の凄さが際立つ。「あまちゃん」が27・0%を記録したのは13年9月16日。従来の最高23・9%(8月24日)から3・1ポイントも上昇したが、台風18号の動向を伝えた前のニュース番組も軒並み20%超え。「ごちそうさん」が27・3%を記録したのは13年10月16日。従来の最高22・5%(10月9日)から4・8ポイントも上昇したが、台風26号の動向を伝えた前のニュース番組も軒並み20%超え。「あまちゃん」も「ごちそうさん」も台風ニュースの“後押し”があったとみられる。「あさが来た」の27・2%は、従来の最高25・8%(12月3日)から1・4ポイント上昇。前のニュース番組の影響はなかったとみられ、それだけに驚異的な数字と言える。


女優デビュー

27.2%回

ちなみに、「ごちそうさん」台風の日(27.3%)は、

ムロツヨシ東帝大教授が、暴風雨によって破壊された階段で怪我をする回という偶然

ふゆのモデルがムメ(通称・小藤)なら、

清原伽耶が小島藤子に似ているのも納得である

NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の人気が止まらない。視聴率は右肩上がりに伸び続け、11月10日放送では24.8%と自己最高を更新した。なんといっても話題を呼ぶのが、波瑠演じるヒロイン・あさの女傑ぶりと、宮崎あおい演じる姉・はつの貧乏生活の、くっきり分かれた「明暗」である。「不幸は全部、姉のはつにふりかかる一方、主人公のあさは家族にも恵まれビジネスもうまくいき、順風満帆というのが、ヒロインが試練を乗り越えるというこれまでの朝ドラのセオリーと違って、新鮮なのではないか」(放送作家)

しかしいま、絶好調ヒロイン・あさの周辺に“不穏な予兆がある”として、噂の登場人物がいる。女中のふゆだ。はつ・あさの姉妹は、両替商を営む豪商・今井家から、それぞれ大阪の別の両替屋に嫁いだ。その際、今井家から、あさの元にはお笑い芸人・友近の演じるうめが、そしてはつの元にはふゆが、女中として付いていった。ふゆを演じるのはこれがドラマデビューとなる13歳の新人、清原果耶で、初々しい演技に人気が集まっている。今月に入りドラマでは、ふゆの将来を案じたはつのたっての願いから、ふゆがあさのいる加野屋に移ることになった。そのことがファンの間で噂を呼んでいる。「ふゆは、あさの夫である新次郎(玉木宏)の妾になるのではないか」

なぜこんな噂が流れるかというと、ふゆが加野屋に移ることと前後して、炭鉱経営で家を空けるあさの代わりに新次郎に妾が必要なのではないか、というストーリーが展開されたからだ。この話題は、新次郎が「妾はつくらない」と宣言したことから一旦、立ち消えとなったが、それで「ふゆが妾になる説」が消えたわけではない。というのも、史実との関係があるからだ。あさのモデルである広岡浅子と夫(信五郎)の間には、娘しか生まれなかったため、跡継ぎのために実家(三井家)から連れてきた女中のムメ(通称・小藤)を妾に据え、彼女が産んだ男児(松三郎)が跡継ぎになった。広岡浅子はこの子をたいそうかわいがり、大同生命の社長にまで育て上げたという。もし、このふゆがムメをモデルにしているとすれば、今後、お世継ぎを産むために新次郎の妾になる、という展開が予想されるのだ。現在はっきりしているのは、あさと新次郎の間に娘が生まれるところまでで、その後がどうなるかは分かっていない。ふゆをめぐっては、新次郎への淡い恋心がほのめかされる一方で、加野屋の中番頭(三宅弘城)がふゆに思いを寄せる様子も描かれるなど、今後も予断を許さない。ただし、ヒロインの夫が妾をつくるなどということが、朝ドラの視聴者に受け入れられるかどうか。新次郎自身が否定しているし、放送関係者の間でも、「妾の部分は史実と変えるのではないか」との説が大勢だ。そんななか、『あさが来た』の大ファンで、明治時代を舞台にした漫画『大東亜論』で知られる小林よしのり氏は、「絶対に妾を描くべきだ」と主張する。「明治の時代には、お家を残すために妾がいることは当たり前だったわけで、単身で炭鉱に乗り込むなど過激な描写に挑んできた『あさが来た』には、そこから逃げてもらいたくない。正妻と妾の葛藤や、当時の道徳観を描いてこそ、本物のドラマになるはずです」

ますます目が離せない。

「あさが来た」は2015年後期の朝ドラだが、この年の1月から三井不動産グループ、アステラス製薬のCMに起用されるとともに、春からはファッション誌「ニコラ」の専属モデルにもなり、「有望な美少女がいるぞ」と、徐々にではあるが話題になり始めていた。「学校に行くのが好きで、お友達とおしゃべりするのがリフレッシュ。ミニチュアダックスフントを飼っていて、家で遊んでいます」と、笑顔もまだあどけなく、対面しての第一印象は、女優というよりフレッシュな美少女モデルといった雰囲気だった。しかしこのとき聞いた話で印象に残ったのは、幼少時から芝居や歌に関心があり、3~4歳の頃には家のテーブルをステージに歌い踊って、父親に怒られたという話だ。演技への入り口は役者によってそれぞれ違うし、中には若い頃には演技経験も興味もなかったという役者もいるが、清原の場合は小学5年のときには芝居に本格的に興味を持ち、ミュージカルやクラシックバレエ、歌やジャズダンス、タップダンスを習ったというから、やはりいい意味で天然というか、好きこそものの上手なれを地で行く面があったのではないか。「あさが来た」に関しては、「関西でも昔はイントネーションが違うし、京言葉もあるので苦心しました。所作も難しいです」と話し、実年齢より上の役で、主人公あさと同じ年の設定なので、あさ役の波瑠を見ながら勉強したとも話していた。


小学5年くらいのときにテレビドラマを見ていたら、お芝居をしている人がかっこよく、楽しそうで、自分もやってみたいと思いました。それで、歌やジャズダンス、タップダンス、バレエ、ミュージカルを習い始めました。できるだけ全国の人に名前を知ってもらいたいので、小さな子供からお年寄りまで幅広い年齢層の人が見ている朝ドラへの出演がそのきっかけになるのではという思いがありました。実は別の役でオーディションを受けていたのですが、落ちてしまって。次にまたオーディションがあったら受けようと吹っ切れていたら、数カ月後に「ふゆ」役でオファーが来たんです。当初は「うれしい」より「びっくり」という気持ちが大きかったのですが、しばらくしてから「私、朝ドラに出られるんだ…」と実感がわいてきて、うれし泣きしましたね。(オーディションで朝ドラプロデューサーの目に留まり、「今後大きくなる人材。この子の女優人生のスタートに立ち会いたい」と、メーンキャストの一人、ふゆ役に抜擢された)

昔の京都弁と大阪弁の微妙なイントネーションの違いに苦労しました。大阪生まれ大阪育ちだから言葉には苦労しないと思っていたけど、時代が違うから話し方も少し違う。なかでも「どんどん」が特に難しく、何回も撮り直しました。

BK馬場町(大阪市中央区)、AK愛宕山(東京都港区)

大阪局が制作する場合、伝統的に関西以外を舞台にすると面白くない。昭和50年度「おはようさん」(39.6%)、田辺聖子原作、ヒロインは秋野暢子で、大阪のOLが主人公。同年度の東京制作、大竹しのぶ主演「水色の時」(40.1%)と互角の視聴率。51年度「火の国に」(35.0%)は、熊本の女性造園師が主人公で印象に残らず。52年度、神戸のパン屋さんが舞台の「風見鶏」(38.3%)で、異人館を観光地として有名にした。53年度「わたしは海」(35.9%)は、広島を中心に瀬戸内海が舞台で盛り上がらず。状況を打開すべく、大阪商人ものを得意とする花登筐(こばこ)に脚本を依頼した「鮎のうた」(42.7%)が大ヒット。隔年制作の55、57、59年度はまあまあ(38.5%、38.8%、40.2%)だが、60年度は九州の旅芝居が舞台の「いちばん太鼓」(33.4%)でずっこける。この後、連続テレビ小説全体が低落傾向になり、平成3年度、東京制作の一年放送「君の名は」(29.1%)が時代錯誤のリメイクで失敗。それを救ったのが大阪局で、橋田壽賀子脚本の大阪商売もの「おんなは度胸」(38.5%)が盛り返す。しかし、今度はその橋田脚本が、6~7年度の東京制作「春よ、来い」(24.7%)の安田成美降板騒動などで失敗。続く大阪制作「走らんか!」(20.5%)は、博多が舞台でさらに傷口を広げる。これを回復したのが大阪バリバリの「ふたりっ子」(29.0%)と、大阪を離れて失敗し、戻って立て直す歴史を繰り返していた。

(数字%は関東地区の全話平均視聴率)

NHKキャラクター「どーもくん」と身長が同じ

フジ系「グッド・ドクター」第5話、 城桧吏が「365日の紙飛行機」を歌っていた

曲は良いのに、AKB48はやっぱり、ヴィジュアルはゲテモノの類だ

城桧吏、カッコイイ

2016年4月5日(火) 初めて新聞の番組表に

素顔の清原伽耶

クリソツ小松菜奈の少女期で映画初出演

杉浦みずき、オススメ映画「ぼく明日」

14歳で子持ちの役

京都育ちが 博多になれて 可愛いなまりも いつしか消えた~

昭47「京都から博多まで」

1万試合で万歳と思いきや…

あ然、ぼう然、何が起きたんだョ、何が…1位から5位まで0・5差。セ・リーグ全球団が「借金」という史上初の珍現象…何なのだ、これは…。猛虎1万試合のうちでもこんな試合は記憶にございませんヮ。そんなアホな…みんなが球場で、テレビ中継で、いやその昔に人気のあったカンテレ系の「プロ野球ニュース」などで、あなたはこんな試合何度見ました。ということはそういうゲームに遭遇したのは幸運というべきなのか…。しかも逆転の口火は元阪神のバルディリスですよ。なんでこんなイイ打者を出したんだ。今さらグチッてもしようがないけど…ベラボウめ。ですが、タイガースの1万試合到達というメモリアルの日を迎えて、皆様はそれぞれのご自分の人生を振り返り、少しは反省されましたか? まだ1万回までには届かんからちょっと寄っていこうや…かまへんやろ…減るもんやなし…コレコレ、ソーユー不埒な話ではございません。あらためて振り返りますと、この阪神タイガースというチームはどれだけの夢と希望と、それに歯ぎしりしたくなる挫折と、ノノシリたくなるアホらしい試合と、この日のような「突然の地獄」をみせてくれてきたことか…。とにかくこういう機会に「来し方をさながら夢になしつれば…」(新古今和歌集)とシミジミと振り返ってみることも必要じゃないですか。あんなことや、こんなこと、とても死んだおふくろに言えなかったようなこと…とかさぁ。そのあなたの行いの悪さ(スイマセン)がこの夜の横浜スタジアムの結末だったのだ…と反省しましょうョ。最近、謙虚さを忘れていませんでしたか? 皆の衆。つまりです。日本プロ野球史上最初に1万試合に到達したタイガースが雨の中でハラハラドキドキすることもなく、この日の当番デスク、ムーミンパパそっくりの牧慈(あつし)を慌てさせることもなく、整理部のデスク共が悲鳴をあげ、誰かが医務室に駆け込むこともまったくなくスムーズにコトが運ぶと思わせて「桜田門外の変」以来の仰天の逆転負け(ウソです=それは万延元年1860年のことですから…)なぁんてジョークの一つも飛ばしたんですョ。そしたら編集局のほぼ全員が殺意をもって俺をニラんでるじゃおまへんか。冗談もTPOがあるんですよ、TPOが…。「1万試合のうち1500試合ぐらいは現場で見てきたけどなぁ」というビヤ樽編集委員三木建次は試合前にズバリと「この雨にメッセンジャーがイライラしだすとちょっと嫌なんやが心配もせんでエエやろ」。たまにはビヤ樽もいいこというゼヨ…と思ったらおいおい九回に呉昇桓がイライラ病ですヮ。こんなことってあるんですねぇ。そういゃあキャップ阿部祐亮も試合前は福留選手と何か話し込んでいて…。「今日は3-2で阪神が勝ちます」となぜか力なく言ってましたが…。はてさて1位から5位まで0・5差のなかにウジャウジャ? ここは日本だ。パルテノン神殿の国じゃないぞ。すずめの涙みたいな貯金に血迷う場合か!


○ DeNA 4x - 3 阪神 ●

<11回戦・横浜>

阪神が悪夢のサヨナラ負けで4連敗。球団1万試合目のメモリアルゲームを勝利で飾れず、これによりセ・リーグは、全チームが借金生活に突入した。阪神は0-0で迎えた5回、下位打線のチャンスメイクから一死満塁の好機を作ると、2番大和がセンター前への2点タイムリーを放ち先制。続く6回は二死走者なしから、この日も6番起用の鳥谷が4号ソロを放ち、貴重な3点目を加えた。投げては先発のメッセンジャーが、雨が降ったり止んだりの悪天候の中、立ち上がりから抜群の安定感を披露。8回に味方の失策絡みで1点を失うも、今季最多の142球を投げ込み9回のマウンドを呉昇桓に託した。しかし2点リードの9回、守護神が代打・後藤に痛恨の同点2ランを浴びると、なおも一死二塁から、1番石川にサヨナラ打を許した。対するDeNAは、最終回に攻撃陣が奮起し劇的な逆転勝利。投げては先発の井納が6回3失点とゲームメイク。8回は一死満塁のピンチを3番手の林が凌ぎ、9回を抑えた4番手の長田が、今季2勝目を手にした。

昭和26年、鉄道会社8球団から生き残ったのは阪神だけ

セ 阪神(大阪)タイガース、名鉄(名古屋)ドラゴンズ、国鉄スワローズ

パ 西鉄ライオンズ、阪急ブレーブス、南海ホークス、近鉄パールス、東急フライヤーズ


日本における職業野球の先駆けは、早稲田大学OBであった河野安通志により1920年に設立された「日本運動協会」とされる。河野は当時の箕面有馬電気軌道(現・阪急阪神ホールディングス)の創業者の1人であった小林一三から、アメリカで盛んな職業野球を日本で実現できないか相談されいったんは断るも、後年日本運動協会を設立する。ところが関東大震災の影響で本拠地・芝浦球場を失った同協会は解散に追い込まれる。そこで小林は1924年に「宝塚運動協会」を結成し、本拠地を宝塚球場に置く。しかし、この協会も、昭和恐慌に伴う不況や有力な対戦相手であった大毎野球団の突然の解散などの影響を受け、1929年に解散に追い込まれる。それでもなお、小林は独自の「電鉄リーグ構想」を提唱する。野球場をもつ関西の電鉄会社が協力して職業野球団を結成し、リーグ戦を行うことで、鉄道沿線に娯楽を提供して入場料収入を得るとともに、鉄道の利用促進による運賃収入増をもくろんだという。

大手私鉄は鉄道の利用促進による運輸収入増と、住宅や商業施設、娯楽施設などの設置による沿線開発を通じた関連事業収入増との相乗効果を狙い、本業の鉄道事業と関連事業をともに拡大させた。大手私鉄のプロ野球参入は、本拠地球場を沿線に構えることで鉄道の利用を促進する沿線開発としての側面のほか、知名度向上による定住促進やイメージ向上を狙う広告戦略としての側面があった。

昭和から平成にかけて、パ・リーグ球団を保有していた大手私鉄3社(阪急、南海、近鉄)が球団を次々と手放した背景には、知名度向上や鉄道の利用促進の効果よりも、売却によって球団が抱える赤字の解消を優先する経営判断があったことが考えられる。阪急、南海、近鉄の各球団の年間観客動員は伸び悩み、入場料収入も厳しい数字であったことは想像に難くない。鉄道系球団の場合、入場者数の増減は鉄道利用者数にほぼ直結するが、入場者数が少ないと鉄道への貢献も限定的になってしまった面は否めない。また、1993年のフリーエージェント(FA)制導入などにより選手年俸は上昇傾向にあり、観客動員の伸び悩みに苦しむ球団にとってはそうした負担が重荷となったことも否定できない。

日本国内において鉄道路線を中心とする事業基盤を有する大手私鉄の中には、成長を求めて海外展開を志向する動きも見られるようになった。西武HDの後藤高志社長は本誌のインタビューに「アメリカなどではとくにそうですが、西武グループのCEOだと言ってもピンとこない人もいますが、『12球団しかないプロ野球球団のオーナーだ』と言えば、ウェルカムになるケースがあります。海外に事業展開するうえでも、球団保有の意義は大きい」と語っている。