台与(アマトヨツヒメ)
景行天皇十二年九月五日
周防国佐波津(山口県防府市)より南望し、多臣の祖武諸木、国前臣の祖菟名手、物部君の祖夏花を検察に行かせる。すると一国の魁師である神夏磯媛が、磯津山の榊の上枝に八握剣、中枝に八咫鏡、下枝に八尺瓊をとりかけ、そして船の軸に白旗を掲げて近づいてきた。(三種の神器の初出)
豊前国の長峡の縣(福岡県行橋市)に行宮を建て、名付けて京(みやこ)という。十二月五日 襲国 熊襲の八十梟師 市鹿文(イチカヤ)を火の国造にした。
「熊襲梟帥(クマソタケル)には二人の娘がいます。姉を市乾鹿文(イチフカヤ)といいます。乾は賦(フ)と読みます。妹は市鹿文(イチカヤ)といいます。容姿は美しく、心は雄々しいです。たくさんの幣(マヒナヒ=贈り物)を示して、麾下(オモト=幕下=幕は幕府と同じで出陣中の状態を表す言葉。よって戦争しているときの妃が入る場所のこと)に召し入れるべきです。それで、その消息(アルカタチ=熊襲梟師の居所)を聞いて、不意にそこを襲えば、刃を血濡らさずに賊(アタ)は自然と必ず破れるでしょう」
天皇は「良い案だ」と言いました。天皇は「スメラミコト」と読みます。このスメラというのは「清らか」という意味があります。よって天皇の天皇たる根拠の一つに「清らか」というのは大事なポイントであるはずです。そんな清らかな天皇が「人を殺す」ことはタブーだったのではないか?と思うのです。普通の英雄は何かの「武勇伝」があるはずです。首をはねたとか一刀両断したとか、そういう血湧き肉躍る物語があるものです。ヤマトタケルにはそれがあります。ヤマトタケルは兄を引きちぎり、クマソタケルを殺し、イズモタケルを殺し、とその手は血にまみれています。しかしヤマトタケルはその武勇で大和朝廷に貢献したにもかかわらず、結局天皇にはなれませんでした。もう一つは中大兄皇子です。中大兄皇子は「自分の手で」蘇我入鹿を宮中で暗殺します(645年)。その後には天智天皇になるのですが、蘇我入鹿暗殺の23年後(668年)のことです。これだけの空白に対して、いろいろな説があるのですが、わたしはもしかすると「死の穢れ」が原因だったのではないか?と考えています。
21世紀のトヨこと清原君
三国志「魏書」第30巻 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条 曰く、卑弥呼の崩御は247~248年となる
『卑弥呼以て死す。大いに冢(ちょう)をつくる。径百余歩(約145m)、葬に徇ずる者は奴婢百余人。更に男王を立てしも国中服さず、更に相誅殺す。時に当りて千余人を殺す。復た卑弥呼の宗女の台与、年十三なるを立てて王と為し、国中遂に定まる。』
・東征神話の「南方」近くが生家(2002)
・デビュー間もなく決まったCM企業がアステラス製薬(社名の由来)(2015)
・ニノさん(13歳、TV初出演)で「岩戸事件」(下写真)(2015)
(岩戸前が卑弥呼、岩戸後が台与として天照大御神の項に描かれている)
・神器たる翡翠勾玉(2022)
・ジャンヌ・ダルク13歳(台与登場と同年齢)(2023)
・台湾映画のエグゼクティブ・プロデューサー張震(台与の摂政は張政)(2024)
・amazarashi(アマザラシ)が好き、御朱印帳集めが趣味
・引き篭もって過ごす事が好き(卑弥呼の部屋に出入りする者がおり、会った者は少ない)
八倉比賣神宮(徳島市)に『大日孁女命(おおひるめのみこと)(別名天照大神)』
「水の女神に属するとして、もっとも威力ある神霊」とある
ハナ肇「芸能人の名前は水に関係した方が良い」
後輩の荒井注、仲本工事(工事には水を多く使う)、加藤茶を名付ける
・2002年、壬午(みずのえうま)生まれ
・水曜日生まれ
・水瓶座
・清原(部首・さんずい+青)
・果耶(果物は水分を多く含む)
・淀川区三津屋出身(部首・さんずい、2回入る)
・大阪市は、水の都である
・「江戸の八百八町」「京の八百八寺」と並んで、「浪華の八百八橋」と言うが、
浪速に該当する現在の大阪市には、1,013もの橋がある(NHK「あさイチ」より)
「1,013」という数字は、前述の「13」つながりにもなる
大阪の南北は筋(御堂筋など)、東西は通(土佐堀通など)があり、
大阪城に近い所から1丁目、2丁目・・・となる
・ソルトレイク・シティ(塩・湖)五輪の9日前生まれ(湖は水が沢山ある)
(ちなみに、カミモネも水瓶座、長野五輪の11日前生まれ)
夏季五輪より、冬季五輪の方が水に関係する
多くの競技で、溶けて水になる雪がある
・清原入団後に移転したアミューズ本社の住所にも、
「富士河口湖町西湖」(部首・さんずい、3回入る)
・本邦初の高層ホテルは、清原CM出演している京王の京王プラザホテルだが、
新宿の「浄水場」跡地に建設された
伽耶の名前の由来である「もののけ姫」カヤ(足利尊氏の許嫁)も似てるけどな
まあ、救世主と思いきや親族というのは卑弥呼、台与も同じ
ちなみに、「あさが来た」では、史実は妾であったという曰くつき
宮崎駿監督のアニメ『もののけ姫』には「たたら場」が、物語のカギを握る重要な場所として登場します。たたら場とは砂鉄から鉄を取りだす作業を行う場所で、いわば昔の製鉄所です。主人公アシタカは、たたり神の呪いを解こうと旅をする中、たたら場でエボシ御前と出会い、呪いの正体を知り、やがて人間ともののけの戦いに巻き込まれていきます。
たたら場は古代より日本各地に存在し、長く日本の鉄需要を賄ってきましたが、明治になって西洋式の近代的製鉄法に押され、徐々に姿を消していきます。現存するのは島根県雲南市吉田町にある「菅谷たたら」のみで、『もののけ姫』に登場するたたら場のモデルも、この菅谷たたらと言われています。
『もののけ姫』には、たたら製鉄やたたら製鉄に従事する人たちの暮らしに触れたセリフも出てきます。菅谷たたらにおけるたたら製鉄からこれらのセリフを読み解き、『もののけ姫』をちょっと違った角度から味わってみませんか。
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終盤、目が泳いでいる
・忌部氏の先祖を祀る大麻比古神社
・四国お遍路一番札所の霊山寺
・眉山にある日本に二体しかない神武天皇像
・天照大御神を祀る式内社、天石門別八倉比売神社
・大国主命の息子の建御名方命を祀る多御奈刀弥神社
・穀物神である大宜都比売神を祀る上一宮大粟神社
・天岩戸の巨石を祀る天岩戸立岩神社
・八咫の鏡を作った天津麻羅を祀る立岩神社
・恵比寿さんこと事代主が生まれたとされる生夷神社
・大国主が祀られ皇太子も参拝された八鉾神社
・天照大御神が生まれたとされる賀志波比売神社
阿波の国には天津神、国津神を祀る神社が集中しています
阿波の国にしか祀られていない神も多数
我々がよく知る記紀の物語は全て阿波の国で起こった
邪馬壹(やまと)国=魏志倭人伝にいうところの倭国は阿波の国にあり
神武東征の頃の古事記の話も全て阿波の国であった
ヤマトタケルの遠征を地図に落とすと四国だけが外れている
忌部氏の話、麻のお話、剣山やお遍路の話など、
徳島にはまだまだ調べたいことがたくさんある
■西暦57年「漢委奴國王」 107年「倭面上國王師升等」 239年「親魏倭王」
■卑彌呼と宗女臺與
世襲足姫(よそたらしひめ)は、第5代・孝昭天皇の皇后
日本書紀において、尾張連の祖である瀛津世襲(おきつよそ)の妹とされる
古事記では、余曾多本毘売(よそたほひめ)の名で記される
阿波の開拓を担ったとされる忌部(いんべ)氏(天富命など)と尾張氏の活動範囲が重なる
孝昭天皇の和風諡号である「観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)」を冠する
「御間都比古神社」(徳島県名西郡神山町)が存在する
竹野姫(たかのひめ)は、第9代・開化天皇の妃
古事記では、丹波之大県主である由碁理(ゆごり)の娘とされ、
彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)を産んだと記される
阿波は古代の祭祀集団「阿波忌部」の本拠地であり、
麻や穀の生産を通じた朝廷への奉仕で知られる
丹波大県主の勢力範囲(丹後・丹波)もまた、古代の重要拠点であるため、
地域間の血縁や祭祀上の繋がりが指摘される
伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)は開化天皇の皇后であり、第10代・崇神天皇の母
彼女の父である大綜杵命(おおへそきのみこと)の妻、
高屋阿波良姫(たかやあわらひめ)は、阿波の有力氏族である粟氏(粟凡直)
阿波には、開化天皇の時代に関連する人物や神々を祀る延喜式内社(建布都神社など)が
集中している
■桃太郎の鬼退治伝説
第7代・孝霊天皇の皇子である吉備津彦命が、第10代・崇神天皇の御代、
四道将軍の一人として派遣された吉備で悪行を働いていたとされる
百済の王子・温羅(うら)を討伐した
吉備津彦命は岡山県の吉備津神社に祀られている
■かぐや姫の美人薄命伝説
一人の皇子を産んで夭折したと思われる迦具夜比売命は、
・比古由牟須美命の孫
・大筒木垂根王の子
・伊久米伊理毘古伊佐知命(第11代・垂仁天皇)の妃
・袁那弁王の母
■神功皇后
明治時代までは、一部の史書で第15代天皇、初の女帝とされていた
■金錯銘鉄剣(埼玉県行田市埼玉)
稲荷山古墳の後円部墳頂の埋葬施設の一つである礫槨から出土した副葬品。剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれている。その内容は「辛亥年」(西暦471年)に「ヲワケの臣」(または「ヲワケコ」)が「杖刀人首」(「杖刀人」のトップ)として「ワカタケル大王」(第21代・雄略天皇)に仕えたことを示すもので、日本古代史を解明する上で欠かせない超一級資料。
■麁服(あらたえ)
天皇が威霊を体得するための重要な祭祀具とされる。古来より阿波から献納され、古代の職能集団「阿波忌部」の子孫とされる人々によって伝統技術が継承されている。徳島県美馬市にある三木家の管理する畑で育てられた麻の繊維で作られ、平成や令和の大嘗祭でも、この伝統的な役割を果たしている。
■阿波の青石
古墳の石室に使われた緑泥片岩は、板状に割れやすい特徴を持ち、古墳時代前期から後期にかけて、石室の壁や天井石、さらには石棺材として使われた。
■阿波の大理石
国会議事堂の天皇御休所の入口や周辺の壁面に使用されている。徳島県阿南市阿瀬比町などで採掘された石灰岩で、やや黄色みを帯びた色合いが特徴。
■八十島祭
天皇即位の大嘗祭の翌年に行われる儀礼として平安時代の記録に残る古い祭儀。難波の沿岸の島々を日本の国土である「大八洲(おおやしま)」に見立て、その神霊を祭る。淀川を船で下り、難波津で生島神や足島神を祀り、天皇の御衣を海に向かって振るという呪術的な要素も含まれた。難波八十島は、淀川と大和川が注ぎ込む大阪湾の土砂が堆積してできた多くの島々を指す。淡路は「国生み神話」の最初に生まれた島とされており、国指定重要無形民俗文化財の「淡路人形浄瑠璃」や、伊弉諾神宮の御例祭、沼島八幡神社の春祭りなど、他の多くの伝統的な祭事がある。
■由加物
古代の律令規定である「延喜式」等に基づき、大嘗祭の際に神へ供えられる特産物や器などの総称。古代から、阿波国の麻殖郡(吉野川市付近)と那賀郡(阿南市付近)がこれを用意する規定があった。令和の大嘗祭でも、徳島県からは「庭積の机代物」として、地元の農水産物が献上されている。
徳島県の剣山には、古代イスラエルで失われた三種の神器(モーセの十戒石板、アロンの杖、マナの壺)を収めた「アーク」が隠されているという伝説があります。
過去に超古代研究所の地中孝(千中孝志)氏などが、剣山にソロモンの秘宝が眠っていると主張し、調査を行いました。
剣山周辺の神明神社などには、古代イスラエルの石積み技術に似た構造が見られると指摘されています。
日本の皇室のシンボルである「十六弁の菊花紋」が、古代エルサレム神殿の装飾と似た形をしていることが、日ユ同祖論の根拠の1つとして挙げられます。
徳島県の木屋平(こやだいら)にある新田亀三郎氏の実家から、皇室の菊花紋が刻まれた鏡が発見されており、この地域がかつての天皇家、あるいは古代イスラエル人に関係する場所ではないかと示唆する意見があります。
紀元前8世紀頃にアッシリアによって滅ぼされた北イスラエル王国の10支族(失われた10支族)の一部が日本に渡来し、先住民と融合して日本の基礎を築いたという説があります。
剣山周辺にある「トウジン(唐人)の宮」などが、古代イスラエル人と関連があるのではないかと推測されることがあります。
ゲル石破です
徳島市眉山町大滝山24【神武天皇像】
徳島県美馬市木屋平貢143【三木家住宅】
徳島県鳴門市大麻町大谷山田15-2【西山谷2号墓】
徳島県鳴門市大麻町萩原山ノ下3【萩原墳墓群2号墓】
徳島市庄町【庄・蔵本遺跡】
徳島県阿南市水井町【若杉山遺跡】
徳島県阿南市加茂町宮ノ前【加茂宮ノ前遺跡】
徳島市八多町八屋67-3【五王神社】
徳島市上八万町上中筋558【宅宮神社】
徳島県阿南市長生町宮内464-1【八桙神社】
徳島県美馬市美馬町東宮ノ上3【倭大國魂神社】
徳島市不動西町4-2024【和多都美豊玉比賣神社】
徳島県鳴門市大麻町大谷山田66【宇志比古神社】
徳島県阿波市市場町香美字郷社本18【建布都神社】
徳島県板野郡藍住町徳命前須西65【伊比良咩神社】
徳島県阿波市市場町伊月宮ノ本100-1【事代主神社】
徳島県美馬市穴吹町穴吹字九反地5【伊射奈美神社】
徳島県三好市池田町大字佐野字森常462【佐野神社】
徳島県阿波市土成町【高尾】字熊の庄15【熊野神社】
徳島県名西郡石井町浦庄諏訪213-1【多祁御奈刀弥神社】
徳島県名東郡佐那河内村下寺谷【五世之神社(五世宮)】
徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635【伊加加志神社】
徳島市南蔵本町3-32【タタリ谷常厳寺】
徳島県吉野川市【宮島(浮島)八幡宮跡】
徳島県鳴門市【大津町】
香川県東かがわ市【馬宿】
徳島県鳴門市大麻町【嵯峨】
徳島県名東郡佐那河内村【嵯峨】
徳島県吉野川市川島町児島【奈良】
徳島県那賀郡那賀町竹ヶ谷【近江】
徳島県美馬郡つるぎ町半田【天皇】
徳島県美馬郡つるぎ町半田【葛城】【京都】
最古の姿 横須賀での宮廷装束
縦15センチ、横20センチほどの古写真が英国の美術品オークションに登場したのは2000年だった。「日本の天皇陛下とご一行」と台紙には英語で記されていた。写っている人物の説明もあり、ひな飾りから抜けだしたような姿の中央の男性は「天皇陛下」、もう一人の和装の人物は「三条大臣」、右から5人目の立っている人物は「M・ヴェルニー」と記されていた。明治天皇の公式の記録である「明治天皇紀」は、1872(明治5)年元日に明治天皇が横須賀造船所の開所式に行幸したと伝え、その際に「諸臣等と記念の撮影を為(な)し」たが、それは「蓋(けだ)し聖体を撮影せしめたまへる始なるべし」と記している。史上初めて天皇が撮影されたとの記録だが、その写真が一般の目に触れたことはなかった。天皇は「小直衣(このうし)、切袴(きりばかま)を著し、金巾子(きんこじ)を冠し、扇子(せんす)を把(と)りて椅子(いす)に凭(よ)りたまへり」という宮廷装束だったと「明治天皇紀」は伝え、写真と一致する。太政大臣三条実美やフランス人技師ヴェルニーが随行していたことも記録されていた。〈幻の写真〉の出現であることは明らかだった。どのように撮影されたかに関心は向かったが、横浜で写真館を営むオーストリア人のライムント・フォン・スティルフリートが、造船ドックの岸壁にいる天皇一行を、近くの船の帆に隠れ撮影したものだった。そうした経緯が分かるのは、外交問題に発展し、横浜で発行された英字新聞などが報じていたからだ。スティルフリートは売り出すとして新聞に広告も載せていた。日本側は驚いたが、治外法権のため直接、手は出せなかった。最終的にはオーストリア側がネガとプリントを没収。一般に流通することはなかった。
世界が報じた明治天皇崩御
■アブドゥラー・ジェヴデト(トルコ)
日本がもしイスラム国家となれば、明治天皇をカリフとするのが適当である。そうせればイスラム諸国の団結はますます強固になるであろう。
■ハブラル・マタン(ペルシャ)
日本先帝陛下はロシアを撃破した後、アジア全般に立憲思想を普及させた。日本の立憲政体に倣った最初の帝国はペルシャであり、それにトルコ、最後に清国がつづいた。そもそもこの三帝国は終始ロシアの圧迫、威嚇を受け、専制君主国であるロシアに配慮して立憲は不可能だった。それゆえに日本先帝陛下は全アジアに対する解放の神であり、アジアの真の仁恵者であると明言することができる。エジプトでは今でも、「独立に成功したのは明治天皇のおかげだ」と言われている。民族運動の指導者ムスタファー・カーミルは「日本人こそ、ヨーロッパに身のほどをわきまえさせてやった唯一の東洋人である」と言っていた。彼が日露戦争開戦直後に書いた「昇る太陽」は日本の近代的発展を賛美するとともに、日本のように民族主義を高揚させれば、エジプトもイギリスの支配から独立できると説いたものだ。また詩人ハーフィズ・イブラヒムは「銃を持って戦う能わずも、砲火飛び散る戦いに身を挺し、傷病兵に尽くすはわが務め」と、日本の従軍看護婦を称える「日本の乙女」という詩を作った。これは教科書にも掲載され、多くのエジプト人の心を打った。
■ホセイン・シーラーズイー(イラン)
東方からまた何という太陽が昇ってくるのだろう。眠っていた人間は誰もがその場から跳ね起きる。文明の夜明けが日本から拡がったとき、この昇る太陽で全世界が明るく照らし出された。無知の夜は我々から裾をからげて立ち去り、叡智の光によって新しき日は始まったのだ。日本が我らの先駆者となった以上、我らにも叡智と文化の恩恵がやってこよう。どんな事柄であれ我らが日本の足跡を辿るなら、この地上から悲しみの汚点を消し去ることができるだろう。
■ムスタファー・カミール(エジプト)
墓場から甦って大砲と爆弾の音を響かせ、陸に海に軍隊を動かし、政治上の要求を掲げ、自らも世界も不敗と信じていた国を打ち破り、人々の心を呆然自失させて、ほとんど信じ難いまでの勝利を収め、生きとしいけるものに衝撃を与えることとなったこの民族とは一体何者なのか。彼等はわずかの年月にこのような「高み」に達し、ある部分では西洋と方を並べ、ある部分では追い越すまでになったのか。また夜を徹してこの民族のために力を尽し、刻苦精励してその地位を高め、「わが国は、他国がいまだかつて獲得したことのないものを最も短期間に獲得せなばなせぬ」と言ってのけた、かの偉大な人物とは何者なのか。いかにして歳月は彼の呼び声に応え、時代は彼の意志に従い、世界はかくも高揚した力を、七つの海とあまたの国々とを震撼させずにはおかぬ一大勢力、全世界を照らし出す上る太陽を、目の当たりにすることになったのか。今やだれもが驚きと賛嘆の念をもって、この民族についての問いかけを口にしているのである。
■インド
天皇陛下の崩御は日本だけではなく、全アジアに対して大きな損失である。アジア民族を覚醒させた大君主の崩御に世界各国民が哀悼の情を表するのは当然だ。
■豪州
明治天皇は偉大な人格者であり、さらに偉大な政治家であり、また最も賢明な君主である。
■米国
明治天皇は1,000年以上かかる国の進展を僅か60年で成し遂げた。
平成14年1月30日生まれの清原君は、いざなみベイビーであったか
■神武景気 昭和29年12月~32年6月(31ヶ月)
高度経済成長期の幕開け、神武天皇が即位した紀元前660年の建国以来の好景気
日本経済は第二次世界大戦前の水準を回復、大衆消費社会形成の糸口となった
昭和31年の経済白書には「もはや戦後ではない」と記された
■岩戸景気 昭和33年7月~36年12月(42ヶ月)
神武景気を上回る好景気という事から、さらに遡る天屋岩戸神話に因む
活発な技術革新により、投資が投資を呼ぶという設備投資主導の景気拡大が生まれ、
三種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)が急速に普及
昭和35年12月、国民所得倍増計画が発表され、本格的に高度経済成長時代へ突入
■オリンピック景気 昭和37年11月~39年10月(24ヶ月)
アジア初の五輪開催に伴い、新幹線や高速道路、競技施設の建設や、
オリンピックを見るためのテレビ需要が高まった事により景気拡大
■いざなぎ景気 昭和40年11月~45年7月(57ヶ月)
戦後最長の消費主導型景気拡大局面の事で、天屋岩戸神話をさらに遡る国造り神話に因む
民間設備投資に牽引され、5年間で名目国民総生産が2倍以上となった
昭和43年、西ドイツを抜き自由世界第2位
3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)が急速に普及
■バブル景気 昭和61年12月~平成3年2月(51ヶ月)
過剰な投機熱により、株式や不動産等の資産価値のバブル現象を引き起こし、
その後の失われた10年と呼ばれる超長期の不況の原因ともなった
■いざなみ景気 平成14年2月~20年2月(73ヶ月)
いざなぎ景気を上回る景気拡大であり、国造り神話の女神の名に因む
好景気の恩恵が偏った事と、経済成長が緩やかであった事から、
豊かさを感じさせないという特徴があった
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