第14回NHK紅白歌合戦(昭和38年)

当時、「草加次郎」と名乗る人物から爆発物や脅迫状が郵送・設置される事件が多発し、

この年の紅白にも予告状が来ていた

特に島倉千代子や吉永小百合は被害に遭っていたので、警備も相当厳重にされた

TV番組の恒久的保存は全く考えられなかった時代、

昭和38年だけキネコで全編保存された背景には、爆破予告があった

結果的に、TV史上最高視聴率(VR / ニールセン調査)番組が綺麗に保存された事になる

・第12回 無し

・第13回 ニュース映像 

・第14回 比較的高画質(爆破予告)

・第15回 無し

・第16回 比較的高画質、一部はカラー映像(松下幸之助が審査員)

・第17回 低画質

・第18回 低画質

・第19回 低画質

・第20回 比較的高画質(第20回記念で名曲大会)

・第21回 低画質、一部はカラー映像

・第22回 低画質、カラー映像

・第23回 マスター映像(以後同じ、最後の東京宝塚劇場)


坂本九は感極まった表情で「見上げてごらん夜の星を」を熱唱

実は、東京宝塚劇場の表で衣装を11着盗まれ、残った1着の衣装での出場となっていた

戦後最大のエポック・メーキング「1964年・前夜祭」という位置付けがあり、

この年ばかりは、ED曲「蛍の光」を封印し、「東京五輪音頭」で「ゆく年くる年」に繋いだ

今回、大阪万国博の開幕を約1ヶ月後に控え、通算3度目の完全再放送

思えば、前回の再放送時も、日韓共催W杯・2002年の幕開けを目前に控えていた


■第14回NHK紅白歌合戦 ~東京宝塚劇場から中継~

  1963年12月31日(火)21:05―160分 アナログ総合

■懐かしの紅白歌合戦「昭和38年」

  1989年12月26日(火)6:00―60分 アナログ衛星第2

  1989年12月26日(火)7:30―100分 アナログ衛星第2

■思い出の紅白歌合戦「昭和38年」「昭和40年」

  1996年12月23日(月)13:00―79分 アナログ衛星第2

■思い出の紅白歌合戦「昭和38年」

  2001年12月25日(火)15:15―161分 アナログ衛星第2

■みんなのベスト紅白 懐かしの「NHK紅白歌合戦~第14回」(リマスター版)

  2025年3月8日(土)9:30―165分 BS102

BS黄金週間(紅白歌合戦~今、BSが伝える野球)

TBS、相変わらずツマラン局だ

テレ東、何かの間違いじゃないですか?

オチにしても笑えんし、限度がある


3/1(土)BS朝日 聖地があるからドラマが生まれる 101年目の甲子園 阪神タイガース90年

3/2(日)BSフジ プロ野球記録大全 球史に刻まれた記録と記憶

3/8(土)BS日テレ 昭和・平成・令和の巨人ベストナイン 最強選手の最強伝説

3/8(土)BS-TBS 密着!イチロー米国野球殿堂入りSP

3/9(日)BSテレ東 菅野智之の挑戦には物語がある

ちなみに、TV実況の土門正夫は、

翌年の東京五輪女子バレーボールの金メダルや閉会式を実況し、

晩年は「サンテレビ・ボックス席」(暗黒時代)を担当した

21世紀に入り、阪神タイガースが「東京宝塚劇場」と同じグループに入った

メディア企業が入居するコングロ・マリットの規模としては、近頃話題のフジを凌駕している

・阪急阪神東宝グループ(221社、5団体、従業員34,624名)

・フジサンケイグループ(78社、4法人、3美術館、従業員約13,000名)

思えば、「東京宝塚劇場」(千代田区)時代が紅白全盛期だ

TV歴代視聴率1~5位をこの時代の紅白が独占

2021東京五輪イヤー、国際フォーラム(千代田区)の回が、

平成以降では一点の輝きであった・・・

NHKホール(渋谷区)時代で再放送を希望している回は、1977・1979・1984のみである

もっとも、1991年以降の完全再放送は出来なくなったしなあ

ちなみに、「おしん」田中裕子も大阪・池田(阪急電鉄登記上本店)であり、

バラエティ・ドラマの歴代最高視聴率が、共に阪急関係者という事になる

プロ野球の最高視聴率も「ヤクルト×阪急」が16年間(1978-1994)守っていた事があって、

「巨人戦が歴代最高じゃない」という時代が続いていた

「片思い世界」の公開も控えているが、前作「花束みたいな恋をした」も、

1~3番手が菅田(箕面)、有村(伊丹)、清原君(ターミナル十三)と阪急城下町揃い踏み

一方で、東京テアトル、TBS東京放送、テレビ東京、京王電鉄と、4K(京)作品でもあった


視聴率がピークに達した五月みどり

毎分視聴率85.3%は、今も破られていない

昭和38年度(38.4~39.3)ベスト20(ニールセン)

89.8 NHK 紅白歌合戦

64.1 NTV プロレスリング

60.0 NHK ゆく年くる年

52.9 NHK ボリショイサーカス

49.5 NHK お笑い三人組

49.4 TBS 歌くらべオールスター大行進

48.2 TBS バンタム級 エデル・ジョフレ×青木勝利

46.6 TBS Jウェルター級 エディ・パーキンス×高橋美徳

45.4 NHK 事件記者

44.3 TBS 隠密剣士

42.4 NHK ケネディ大統領の葬儀

41.2 CX* 山本富士子アワー

41.1 NHK 若い季節

41.0 NHK 世界のサーカス

40.8 NHK 大相撲初場所

40.8 TBS 七人の刑事

40.6 TBS てなもんや三度笠

40.5 NTV ボリショイサーカス

40.5 TBS 図々しい奴

40.3 NHK 東京国際スポーツ大会(バレーボール)

40.3 CX* 鉄腕アトム

2024年大晦日の『第75回NHK紅白歌合戦』は前回に引き続き、有吉弘行と橋本環奈が司会を務め、更に『虎に翼』から伊藤沙莉を加えた3人体制で臨むが、その前回……2023年大晦日の『第74回NHK紅白歌合戦』は、1部の個人視聴率が22.0%(世帯29.0%)、2部の個人視聴率が個人23.5%(世帯31.9%)で、1部、2部ともに過去最低の視聴率に終わっていた。唯一の救いは10代の個人視聴率がわりと高かったことだが、これは日本テレビが『エンタの神様』『ぐるナイ』『伊東家の食卓』のセット特番『笑って年越し!THE 笑晦日』、TBSは『WBC2023 ザ・ファイナル』、テレビ朝日は『ザワつく!大晦日 一茂良純ちさ子の会』と、民放各局の裏番組が揃って高年齢層狙いだったことが影響している。フジテレビはこれらと比べると比較的、若年層向けの『逃走中』だったが、紅白のあとに観る『ジャニーズカウントダウン』を失った影響なのか、テレビ東京にも及ばない3.4%で最下位だった。結局、民放トップは唯一の10%で、テレビ朝日が2年連続だったから、スポンサーとテレビ局が若年層を切り捨てたのは正解だったのだろう。性加害問題で糾弾されていたジャニーズ事務所(SMILE-UP.)の所属タレントは、第30回(1979年)以来、44年ぶりの『NHK紅白歌合戦』出場なしとなったが、直前に大ベテランの岡本健一が契約解除した男闘呼組(Rockon Social Club)が、大トリのMISIAと共演していた。思わぬ法律の抜け穴(?)であった。そして、ジャニーズが消えた代わりに、YOASOBI『アイドル』の演出には韓流や坂道系のアイドルが勢ぞろいしていた。『推しの子』というアイドル「業界」アニメの主題歌としてヒットしたのだが、「大衆に消費されていく偶像」への風刺や寓意の強い歌詞に合わせて、生身のアイドルたちが次々と現れる人間見本市のような豪華演出には苦笑いしてしまった。確かに、別格扱いを要求していたジャニーズ系アイドルが不在だからこそ可能な演出で、良かれと思ってやったのだろうし、YOASOBI自体が、アニメ、漫画、アイドルなどのサブカルチャーを過剰に消費して生きている世代の焦燥感の代弁者として売れたから、当然の演出でもあるが、正直、グロテスクでもあった。自虐的に開き直った歌詞が消費するファンの免罪符として機能するアイドルソングはいくつもあるし、そういう捻じくれた自傷行為の上に成り立っているのが日本のアイドル文化なのだが。そうでもしなければこんな国で生きていられるか、と言わんばかりに。結局、テレビを観る若年層は深夜アニメかジャニーズ以外のアイドルのファンくらいになってしまったのだが、YOASOBI『アイドル』の演出はその構図をあからさまに体現していた。アーティスト系やバンド系の多くは連続ドラマの主題歌よりも、ANIPLEXなどのアニメ主題歌で売れているから、30日のTBS『日本レコード大賞』でも舞台演出でアニメを流すパターンが目立っていた。アーティストの姿より『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のほうが目立つのはどうかと思うが。そして、我が家で『NHK紅白歌合戦』を観ていたのは筆者だけだった。『年忘れにっぽんの歌』『孤独のグルメ』のテレビ東京を見ていた両親からは「まだ紅白なんて見ているのか」と笑われたが、別に見たくて見ているわけではない。良くも悪くもこの一年の芸能界やテレビ業界の動向が集約されている番組なので、コラムのネタ拾いも兼ねて見ていたのだ。しかし、そんな動機がないと、もはや見る理由もない番組であることも事実だ。いつの間にこうなってしまったのか?

『NHK紅白歌合戦』が史上最高の視聴率81.4%(ビデオリサーチ、関東地区。ニールセンは89.8%)を取ったのは、1963年の『第14回NHK紅白歌合戦』だ。NHKに全編の映像が残っていた最古の回でもあるこの回は、冒頭から「日曜20時」のコメディドラマ『若い季節』で、結核で片肺を切除していることを隠し、元気でお調子者な板前の役を演じて売り出していた渥美清が聖火ランナー姿で入場するなど、随所で翌年の東京オリンピックを意識した演出が行われていた。ところが、五輪マークと聖火台を模した舞台セットまで組んでおきながら、白組トリを務めた三波春夫が歌ったのは『佐渡の恋唄』で、『東京五輪音頭』ではなかった。曲自体はこの年の6月23日に発売されているから、タイミング的には歌えるはずだが、本来はコロムビア所属の古賀政男がキングレコード所属の三橋美智也のために作曲したことから権利開放となり、橋幸夫、坂本九、北島三郎&畠山みどりも歌う7社(!)競作となった経緯から、三橋に配慮したと言われている。歌手も作曲家もレコード会社の専属という時代だったのだ。もっとも、その三橋が『NHK紅白歌合戦』で歌ったのは『流れ星だよ』だったが。なお、当のNHKも2019年の大河ドラマ『いだてん』と、同年10月13日放送のNHKスペシャル『東京ブラックホールII 破壊と創造の1964年』で、東京オリンピックは開催直前まで、一般大衆からほとんど支持されていなかったと告白している。しかも、閉幕後の1965年には強引な「オリンピック景気」の反動で戦後最悪の不況が訪れた。だとすると、三波もこの時点ではそこまで国家ぐるみのプロパガンダに協力する筋合いはない……と考えていたのかも知れない。小田井涼平脱退の曲がり角で「NHKプラス紅白親善大使」を請け負い、QRコードまみれの衣装を着ていた純烈とは大違いである。だが、翌1964年に入ると、三波は再び『紅白歌合戦』のトリを狙うべく、一転して『東京五輪音頭』の販売キャンペーンを張った。『第14回NHK紅白歌合戦』で紅組トリ……4年ぶりの大トリを務めたのは美空ひばりで、紅組が勝ったからだ。このキャンペーンが功を奏し、見事、2年連続のトリ……初の大トリを務め、白組も勝利したのだが、その『第15回NHK紅白歌合戦』で歌ったのも『東京五輪音頭』ではなく、『俵星玄蕃』だった。結局、29回連続で『NHK紅白歌合戦』に出場した三波が『東京五輪音頭』を歌ったのは、28回目の出場となった、1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』だけだった。……というか、三波が他に音頭系の曲を歌ったこと自体、自ら作詞した『世界平和音頭』を1968年の『第19回NHK紅白歌合戦』で歌っているだけだ。この曲は1970年の『世界の国からこんにちは』へ繋がっていく佳作だが、あくまで自分の本領は浪曲歌謡であり、音頭調の曲は『NHK紅白歌合戦』に相応しくないと考えていたのかも知れない。かつての『NHK紅白歌合戦』は、出場と歌唱順で翌年の格……地方営業のギャラが決まる番組だったからだ。しかも、トリは紅白の勝ち負けまでギャラに加味されていたのだ。不条理だが、当時の芸能界はそういう細かいプライドの積み重ねで成り立っていた。

それにしても、81.4%という視聴率は、多チャンネル化や娯楽の多様化も進んだとはいえ、現代の感覚では想像すらつかない。TBSが『第74回NHK紅白歌合戦』の裏で総集編を放送していた、2023年3月のワールド・ベースボール・クラシック中継でも、最高視聴率は準々決勝(16日)イタリア戦の48.0%だった。ここまで圧倒的ということは、民放各局の裏番組はどうなっていたのだろうか?結論から言えば、1963年の『NHK紅白歌合戦』裏番組は各局、ほとんど通常編成に近かった。特番らしき番組は、本来は『徹子の部屋』(テレビ朝日)系のトーク番組『スター千一夜』があるフジテレビが21時台に、東京宝塚劇場からの『雲の上団五郎一座 ブロードウェイへ行く』舞台中継が配されていた程度だ。『雲の上団五郎一座』シリーズはエノケンこと榎本健一の晩年の十八番演目で、貧乏な旅回り一座がメタ的な劇中劇を織り交ぜながら人情喜劇を繰り広げる物語の構造は、のちの『淋しいのはお前だけじゃない』や『タイガー&ドラゴン』(共にTBS)の元型と言える。日本テレビも21時から火曜日のレギュラー番組である『裕次郎アワー 今晩は裕次郎です』を放送している。これは石原裕次郎が司会を務めるサッポロビール一社提供のトーク番組で、放送作家時代の大橋巨泉が構成を担当していた。もっとも、前述の『スター千一夜』が芸能番組ではなく、TBSの『時事放談』と同じジャンルだと強弁したことから、なし崩し的に例外扱いとされていたトーク番組とはいえ、専属制の「五社協定」が存在していた時代の映画スターがテレビで冠番組を持つなど、本来はあり得ないことだった。NHKも同年4月から12月29日まで「日曜20時45分」から放送していた大河ドラマ第1作『花の生涯』に松竹専属の佐田啓二を出演させ、五社協定の切り崩しに成功していたが、裕次郎が民放で冠番組を持ったのは、この年、個人事務所である石原プロモーションを設立したからだ。つまり、『今晩は裕次郎です』は石原プロモーションの起業アピールと、日本麦酒株式会社(サッポロビール)がタニマチだったことから企画された番組だった。このときの日本テレビとの繋がりが、のちに大ヒットした刑事ドラマ『太陽にほえろ』や『大都会』へつながっていくことになるのだが、自分の番組の放送を優先したからなのか、歌手としての初出場を打診されていた『第14回NHK紅白歌合戦』は裕次郎本人の意向で出場辞退した。結局、裕次郎が紅白に出場したのは、デビュー直後の1957年『第8回NHK紅白歌合戦』で、当時のプロデューサー兼マネージャーだった水の江瀧子が司会を務めていたことから、飛び入りという形で雪村いづみの応援に駆り出されたのが唯一で、その後は『NHK紅白歌合戦』と無縁のまま、生涯を終えている。もっとも、1963年の大晦日になったNHK火曜夜は19時の『NHKニュース』以降、『バス通り裏』『ジェスチャー』『お笑い3人組』『事件記者』と続く編成で、ほかの曜日と比べても鉄壁のラインナップだった。裏番組はフジテレビ19時台の『ザ・ヒットパレード』『地上最大のクイズ』、TBS20時台の『源平芸能合戦』『圭三百科』、日本テレビ21時台の『今晩は裕次郎です』『男嫌い』がそこそこ奮闘していた程度で、『第14回NHK紅白歌合戦』の記録的な高視聴率はそうした平時の視聴習慣も影響していたのかも知れない。補足すると、フジテレビの『地上最大のクイズ』は日清食品一社提供のクイズ番組で、100人の視聴者が参加して最後に生き残った者が賞金100万円を獲得する元祖「デスゲーム」だった。鉄骨渡りや限定ジャンケンの代わりにクイズがあり、利根川幸雄の代わりに桂小金治がいたと考えればだいたい想像がつくだろう。日本テレビの『男嫌い』は越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代という貫禄がありすぎる女優たちが四姉妹を演じる魔界のような女性上位のシチュエーションコメディで、末っ子役の坂本九とゲストで登場する男性俳優たちが「ムシられる」お洒落なドラマとして人気を博し、1964年2月には東宝で映画化された。この頃の日本テレビはこういうシスターフッドなドラマもちゃんと作れたのだ。『第14回NHK紅白歌合戦』の裏番組は通常編成だったが、大晦日の年末特番自体は存在しており、TBSテレビが19〜21時まで高橋圭三の司会で『1963年歌くらべオールスター大行進』を放送していた。これは1957〜1968年まで放送されていたTBSの年末特番で、実質『日本レコード大賞』の前番組にあたる。いや、『日本レコード大賞』も1959年から存在していたのだが、この頃は別番組扱いで開催日も一定しておらず、1963年は12月27日の放送だった。視聴率も20.7%で善戦はしているが、この時代の視聴率の基準だと特筆されるレベルでもない。奇妙なのは、TBSラジオも『年忘れ歌謡スターパレード』と称して、22時まで歌謡特番を放送していることだ。番組名は違うが、出演者リストがほとんど同じなので、途中まではテレビと同時放送をしていたのだろうか。ちなみに、1963年は新聞のテレビ欄とラジオ欄の比率が拮抗していた。これ以前はラジオ欄の比率のほうが高く、これ以降はテレビ欄が拡大していくことになる。『NHK紅白歌合戦』の動向に振り回され、試行錯誤を繰り返していたこの番組は、1969年にようやく『オールスター大行進』第2部として『日本レコード大賞』が統合され、高橋圭三が引き続き司会を務めた。これで視聴率30%を超え、翌年からは『日本レコード大賞』が『NHK紅白歌合戦』の露払い的な大晦日の定番番組となっていくのだが、2大番組となったことで他局の大晦日番組編成は更に無気力化してしまった。古い名作映画を流して体裁だけ装う、という編成が80年代まで続いたのだ。

長澤泰治 芸能局長

渥美清

宮田輝アナウンサー

春日由三 専務理事

江利チエミ

トニー谷

清川虹子

石井鐘三郎アナウンサー

相川浩アナウンサー

藤田まこと(大阪市南区)

長谷百合( 〃 )

原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

武智豊子

三木のり平

八波むと志

千葉信男

谷啓

柳家金語楼

黒柳徹子

永六輔

ハナ肇とクレージー・キャッツ

藤山一郎

(司会型)江利チエミ → 伊東ゆかり → 水前寺清子 → 小柳ルミ子 → 森  昌子

(中間型)美空ひばり → 中尾 ミエ → 都 はるみ → 南  沙織 → 山口 百恵

(器量型)雪村いづみ → 園  まり → 日野てる子 → 天地 真理 → 桜田 淳子


この様にはっきりと役割分担があった3人娘は、花の中三トリオが最後だった

その後は、キャンディーズ、ピンクレディー、聖子・明菜の各比較でも、

それぞれがどういうキャラクター、ポジションであるかどうかは、

視聴者の個々の判断に委ねられる分衆の時代が既に始まっていた

そのため、特化型タイプがこの時代からいなくなった

無論、花の中三トリオ以前も好みはそれぞれあっただろう

どちらかと言えば、中間型が結果的に最もスターになっているという傾向がある

司会は歌手やゲストに対しては脇の役割だし、主役タイプには合っていない

器量が芸事より優位に立ってしまうと、同性人気には不利に作用する

よって、中間が一番無難にスターになっていき、王道を歩むというわけだ

小柳はこの中で唯一紅白司会をしていないし、

南は中間型なのに他のグループほど突出したスターにはなっていないし、

天地の人気は圧倒的だったと言われるも、

全盛期さえ容姿は突出しているとは個人的に思わないから、この3人娘が唯一釈然としない

現代では、お笑い芸人の「ぼる塾」3人が、

(司会型)あんり

(中間型)田辺智加

(器量型)きりやはるか

と定義出来る程度だ

公開が迫った映画「片思い世界」3人娘にしても、色々と出来る事は長所だが、

同じような人々が集まって3人になっている